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全力で60%の実力を出すみたいな話 (テニス)

tennis forehand stroke

一般レベルの我々とプロ選手がテニスをやったら

例えば、テニススクールで習っているような我々レベルの方とプロ選手がボールを打ち合ったら「何を打っても簡単に返してくる」感じがするでしょうね。

tennis forehand

手加減ではないですが、自分が多少打ち損じても 常に “こちらが打てる所に” きちんと返してくる。

まさに『壁』のような感じ。

この違いは単純に「技術の差」とも「経験」「身体能力」「才能の差」とも言えません。

シンプルに『実力』の差と言えるのでしょう。

どうすればこういたレベルに近づけるのか?

そう思っても、レベルが違い過ぎて想像が難しいかもしれません。

強いボールが打てても技術が上がっても、テニスのレベルは上がらない

初心者なりからテニススクールに通い、徐々に上達してくると「もっと”速い”ボールが打ちたい。周りを見ても自分も打てるはずだ。」といった思考に、また別の人は「スライスで回転かけるのが簡単にできる。もっと相手が取りづらいようなボールを打てるようになりたい。」というように “上達への道筋” が傾きます。

(“強い” ボール。速度とトップスピン回転が高いレベルにあるストロークは難しいので、まず “速い” ボールと “スライス” という敷居の低い所)

でも、打ち方を工夫してストロークの速度が上がっても打ち合えば簡単にラインオーバー、上下左右にボールが散ってしまいお互いにラリーが続かないという状況になります。

ラリーでもゲームでも常に”スライスで打つ事”を考えていれば、(初見はやりづらくても)構えた瞬間に相手に読まれ強く打ち返されてしまい後手に回る、自分が思うテニスはできなくなります。自分以下のレベルにしか通用しないままです。

サーブが速くても、ボレーがうまくても同様の事は起きますね。

テニススクールのマイナス面

テニススクールのマイナス面はクラス分けで “自分と同等レベルの人としか練習しない事” です。

ひとつ上のレベルの方が振替で参加する事はあっても “圧倒的な実力差の人” と練習できる事はまずありません。

(外でコートを借りて集まって練習する際はそういう事がある)

コーチは担当レベルに合わせるので常に “加減”してくれています。「コーチからポイントを取った」と喜んでも “決められるボールを打ってくれている” だけです。

プロ選手のような方が目の前で打ってくれていれば自分の状態がどういうものか、どういう方向を目指すのが上達なのかというのがイメージできます。

同様のレベルの方、加減してくれるコーチと打っていると『現状で満足』な『井の中のなんとやら』が大勢誕生してしまう訳です。

中級レベルに上がってもそこから上を目指さない、上達したと思っていてもずっと同じようなレベルに居る方は多いと思います。

ダブルスは打つより”学ぶ”ことが必要

ここまでは『ボールの打ち方』の話ですが、テニスには『ゲームのやり方』というもう一つ身につけなければならないものがあります。

スクールでは多くの時間を割いてダブルス練習、ダブルスに繋がる練習を行います。(人数の関係でシングルス向けゲーム練習はほぼしません。スクール以外でテニスをやる場合も日本ですとほぼダブルスですからね。)

tennis doubles game

ただ、

『ゲームのやり方』は “戦術” や “セオリー” で各自の知識や理解として “学ぶもの”

だと考えています。

「雁行陣の動き方はこう、平行陣だとこう」と “ボールを打ちながら” 説明を聞いても理解するのは難しいです。簡単に言えば『座学』教習所で車の運転をしながら、教官から信号機や標識、道路の説明聞いても記憶に残らないし理解も出来ないですよね。

コート上に居る4人がそれぞれゲームのやり方を理解している。だからこそ4人が常にポジションを変え、ボールに反応し、ダブルスという形ができるのです。

「パートナーが動いたから自分も動かないと」では飛び交うボールに間に合いません。

知識としてゲームのやり方を理解していない状態のままであれば、

「小さい子にサッカーをやらせるとゴールキーパー以外の全員がボールに集まって自分が蹴ろうとしてしまう」

のと同じような事が起きます。

kids foot ball

レッスンを受けている中だけだと実感が湧きませんが、スクールで教わるだけでダブルスをやっている感じだとまさにこんな感じです。

この点も “圧倒的にダブルスがうまい人” を身近で見ない事で自分が何をすべきか、何が良くないのかを考える機会が得らない点も関係しています。

(参考になる書籍がいくつも出ており読んで理解すればよいだけです。レッスンでやるゲームはほぼダブルスですし『ボールの打ち方』を身につけるよりはるかに簡単です。自分よりテニスがうまい人達相手でもゲームのやり方を理解している自分達の方が圧倒できます。)

テニスの実力を上げるとは?

「スポーツは (武道は) 心・技・体だ。」

という便利な表現がありますね。

具体的に何をやるべきかという事は言っていないのに誰でも納得感がある言葉です。

技術

テニススクールで我々が考える事はまず『技術』の事で、皆「技術を上げればテニスがうまくなる」と考えます。

でも、ボールを打つ技術って『10cmの違いで的を狙うようなもの』だと思います。それができたからと言って「テニスがうまい」とも言えません。(曲芸的ですし、皆が思う “テニス” ってそういうものでもないでしょう。)

技術の高さより別のもので勝敗が決まる事はよくあります。(先ほどの例で言えば、ゲームのやり方を理解している2人は技術は上でも理解してない2人を圧倒できる)

ボールを打つ事に夢中で『うまく打つこと』ばかりに気を取られているようだと “テニスの実力” を底上げするのは難しい。同じような所で足踏みする事になると思います。

長い期間、練習してるのに上達している実感がないという方は良く居られますね。

『体』は “身体能力”のイメージがあり、筋トレや体幹といった話になりそうですが、『健康』という意味もあるし、全ての運動に必要な『身体の使い方』という事も含んでいると考えます。

大前提として、

ボールが飛ぶのは”物理現象”なので、方向性を持ち力が伝わるなら”手段は何でも良い” 

です。

50m走をする際に”後ろ向き” で走る人が居たら皆笑うかもしれませんが必要な距離は進めます。

「走るのが遅い小学生がプロアスリートに”走り方”を教わったら1秒速くなった」と言えば「さすがプロ、走り方は大事なんだな」と思うでしょう。

この2つは自分が持つ知識や理解を基準に良い悪いを断じているだけで程度の違いです。

我々がボールを打つ打ち方はかなり個性的だと思います。どんな打ち方でもボールは飛ばせますし、身体の使い方が適切でなくてもコーチは強く直させたりはしません。

一方、プロ選手でもトッププロに行けば行くほど “特徴” はあってもボールの打ち方、それに伴う体の使い方は無理がなくスムーズに見えるでしょう。

素人目にもそう見えるという事は「正しい身体の機能の使い方をすれば、ミスしづらく、速いボールが打て、怪我もしづらくテニスができるのだろう」と想像できますね。

(ランキング下位の選手を見ると「今の打ち方無理があるなぁ」というのが良くあります。どんな状況でもベストに近い打ち方ができる、その準備ができているのも違いなのでしょう。)

「練習では打てるのに試合になると緊張して実力が出せない」といった “心の強さ” 的な話になりそうですが、個人的には

「ボールを打つという状況になった際の準備」

という感じです。

心が準備できていないと、(見た目は準備できているように見えても) 体も準備状態にはならないですね。

先日「人がボールを打っているのを “観客のように” 傍観している状態から、いざ自分がボールを打つ順番になった際に “実行” する心理状態に切り替えられるか?」という事について書きました。

それは本当の実力? 観客モードと実行モードみたいな話 (テニス)
心技体と言いますがテニスも技術や身体能力だけでは実力は上がりません。テニスは相手ありきのスポーツで「自分がボールを打ったら後は結果を待つだけ」とはいかないからです。プレイ中とそれ以外の気持ちの切り替え、それが上手く出来るようになる事も上達の...

テニススクールだと和やかムードで笑顔が絶えなかったりします。ミスして笑っていても怒られるような事もありません。相手によってかなり遅いペースで打ち合う事、打ち損なって変なボールが飛んでくる事もあります。

「テニスができて楽しい」レベルならレッスン中ずっと観客やイベント参加者のような心理状態でテニスをやるのでも良いでしょうが、

本来の自分の実力を発揮する、その状態を基準にレベルアップを図りたいのであれば意識を変えるべき

でしょう。

日本語では一括りに「集中」と言いますが、英語で言うなら

concentrate

focus

の2つが考えられます。

カタカナ英語的には前者は “コンセントレーション” と言いますね。

同様に後者だと “フォーカス” です。

試合中、監督やコーチに「集中しろ !!」と怒られても、具体的にどういう状態になれとか、どういう手段を取って変われとか言われないです。

コンセントレートは「全エネルギーを一ヶ所に注ぎ込む」、フォーカスはカメラのピントで伝わるように「焦点を合わせる」といったニュアンスです。

散漫になっている意識は1点集中した方がよい (コンセントレートが望ましい) と考えそうですが、

運動で呼吸が上がっている中、意識をごく小さくまとめるのは難しいし、そうしようとするのに時間もかかる、時間が足りなかった時に「集中できなかった」という結果しか残らないといったマイナス面

もあります。

アニメの話で恐縮ですが『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』という作品で、ゲーム内で銃を武器に戦うのですが、照準を合わせる際に画面にサークルが現れ、呼吸と精神状態に合わせて拡大・縮小するという設定があります。

鼓動の連動する照準のイメージ

カメラのピントを絞り込むように散漫になっている自分の意識を視界の外側から中心に向けてゆっくりとサークルを狭めるように目のフォーカスを寄せていく

最初から1点に集中するより段階的で自覚しやすいし、集約して1つの点にするのではなく狭めていく感じなので完全を求める必要もないです。短い時間でもやりやすいです。

※意識を高める方法として「手に持ったボールを凝視する」という方法もあります。具体的に近くの何かを見るという行為を集中を高める手段とするという事だと思います。

逆にボールを打ち終わった後の緊張感や集中をリセットする方法の一つが遠くを見る『遠望視』でしょうか。イチロー選手もバックスクリーンの表示に目をやり目と意識の集中をリセットしていたと聞きました。

集中とリセットをうまく組み合わせて練習中に切り替えられるようになって

『ボールを打つ際に自分の実力に近いものが平均的に出せるようになる』

のかなと思います。

それが無ければ本当の意味での上達を目指しようがありません。

また、

「練習している際に何となく集中できていない気がする」

「自分では普通に打っているつもりだが何となくミスばかりしてしまう」

という方にはこういった取り組みが良いかもしれません。

“全力” で60%の “実力” を出すといった事

漠然と「40%の力で打ってみて」とお願いした際、多くの方は

『加減した、悪く言えば手を抜いたような打ち方』

をするかと思います。

ゆっくりとボールに近づいて、多少手打ちっぽい打ち方で打ってみたり。

でも、本来望まれるのは、

しっかりとした大きなステップで移動し、ボールに近づけば細かいステップを使って位置を合わせる。しっかりと姿勢を落としてテイクバックを取り、ボールをしっかりと引き付けて、ボールを見つつ、緩やかなフォームで楽にスイングして打つ。

と言った事だと思います。

(状況によって違う。必要ない状況でそんな打ち方をするのは恥ずかしいといった事はあるでしょうが。)

「獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす」と言います。

(生き死にがかかってるのだから) 簡単な事でも手を抜くなと意味で使われるのでしょうが、テニスで言えば「自分の全力のテニスをやる」という事。

勝敗関係ない場面でも、そういう意識で居ないと

実際に実力を出さないといけない場面への”準備” ができないし、自分の実力の出し方、1%~100%までそのコントロールの仕方が分かっていなければ、何を基準に上達を目指すのか

と考えます。

「初心者の方とテニスをやる場合でも、自分の実力は100%出す。ただし、ボールを飛ばすエネルギーは40%に抑える。」

いう具合です。

「手加減しよう」「ちょっと雑に打ってもいいかな」の40%とは意味が違ってきますね。

最初に書いたプロとボールを打ち合う感覚はこのような事が関わってくるのだろうと思います。

最初の方で書いたように「速いボールを打ちたい」と、”打ち合う相手に向けて” とにかく強く打つという意識の方を良く見ますが、簡単にオーバーしたり、上下左右にボールが散ったりしてラリーが続きません。

このラリーが続かないのも技術が足りないからではなく、

「テニスに対する視野が狭くなっているから」

と言えばいいでしょうか。

ラリー練習は野球で言うキャッチボールと同じです。

向こうに立っている相手の方向にとにかく速く投げれば良いという事はないですね。

相手に胸の位置に向かってコントロール良く、きれいな回転で、適当な速度と軌道で投げてあげないと相手は取りづらいです。

テニスなら「相手はワンバウンドしたボールを打つ」条件も加わります。

ネットのどの辺りを越え、相手コートのどの辺りにバウンドし、相手がどの位置でボールを打つのか

全て考えた上で自分がどういうボールを打つべきなのかという判断が生まれます。

ノーバウンドで相手に打たせる訳ではないですね。

 相手の居る方向にとにかく強く打つ

それではキャッチボールが続かないのは当然ですし、自分の実力も上がらないだろうと思います。

皆、スピンサーブを高くバウンドさせたがりますが、それはバウンドするサービスボックスの地点ではなく、その後に相手が取る高さを考えているからですね。我々がサーブの打点を多少高くしても確率は上がりませんがバウンドする高さは高くなります。(回転量ではないです) 見方、考え方が違うだけでラリーでも同じような事は考えられると思います。(逆に、ただ “速い” サーブでエースを取ってやろう、ミスさせようと思っている段階ならラリーの例と変わりません。見るべきものが見えてない感じです。)

『心・技・体』

技術だけでなく色々な要素が積み重なった上での『実力』でしょうし、ただ、沢山ボールを打つだけでは自分が望むようにテニスの実力を上げるのは難しいかもしれません。