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良い練習をしたければ相手にとって自分も良い練習相手であるべきだ (テニス)

tennis lesson

今回は上達を目指すための “意識” の話

今回はテニスを上達させるための理屈の話ではないです。意識の話ですかね。

つまらないかもしれません。ごめんなさい。

まず、私は

「自分のテニスを上達させるのは結局、自分自身。コーチや周りの人ではない」

と強く思っています。

世界No.1コーチに教わっても説明を理解し、実践するのはその人ですね。自ら考え、工夫しようとする、自分から変わる意識がないなら「明確な形で上達が続く」事は難しいと思います。

(自分の上達のために私が思っているだけで、それが正しいとか言う事ではありません)

テニスはひとりではできない。相手が要る。

テニスは「相手ありき」のスポーツですね。

壁打ちや素振りはありますが基本的に「ひとりでは練習もできないスポーツ」です。

打ち合いにも試合にも必ず相手が必要ですし、ダブルスをやるならパートナーも必要です。

「自分自ら、或いは仲間内でメンバーを集め、コートを借り、毎週末や月数回のテニスを楽しんでいる」方も多いでしょうが、自分一人でもテニスの時間を作れる、練習に参加しやすい環境として全国に大小のテニススクールがあります。

tennis lesson balls

私も10数年、テニススクールに通っています。

テニススクールは「上達させてくれる」場所とは言えない

「一般的な成人がテニスを始める際に利用可能な唯一と言ってよい選択肢がテニススクールだ」

と思っています。

テニスを説明する、打ち方を伝えるにはテニスが上手い以外のノウハウ、引き出し、経験が必要です。

「テニス経験者のお父さんがお子さんに張り切ってテニスを教えようとするが全く上達せず双方気まずくなって練習を止める」「テニスサークルに初心者が参加しても上達せずすぐに来なくなる」は “あるある” です。仲間内での “遊び” でも打ち合いが全く続かないなら1回で飽きてしまうでしょう。テニスとは「それなりに出来る」のが前提のスポーツとも言えます。

最近は大手が運営する大型の室内コート型のテニススクールが増え、交通の便が良かったり、季節天候を問わず参加しやすくなったりしています。逆に従来からある公営コートのスクール、屋外でコート以外の設備が整っていない所は閉じたりしています。テニスは生涯スポーツに近く、野球のような大幅な競技人口減にもなっていないようですが新しい所に集中するのはやむを得ないと思います。(通う側からすれば「出来ればよい」ので)

テニススクール

ちなみに、初心者向けの指導内容はどこに通っても変わらないので個人的に選択理由はダントツで『通いやすさ』であり、次が『設備が気十分に思うか』です。

続けると「通う事が特別でなくなる」ので、「今日は雨だから行かなくてよいか」等が増えてきます。通い始めても多くの方が2年位で辞めていくのはその辺り。上達しない悩みよりある意味で深刻なのです。(辞める時には他の事に興味が出ているかもしれませんが)

さて、通い続ける内、私が思うテニススクール像は、

「テニススクールはテニスを上達させてくれる所とは言いづらい。1年を通して朝から晩まで自分の都合の良い時間にたくさんのボール、整った設備、コーチを含む練習相手を確保できるテニスコートの使用権と考える方がしっくりくる」

という物に変化しました。(初心者コースから始めて6年半経っても初中級クラスの底辺に居た私が意識を変える際にそう考える事にしました)

1コートに10名以上の参加者。コーチは1~2名。練習時間は1回90分ほど。コーチと1対1で打ち合い、コメントをもらう時間は2~3分とかでしょうか。多くの方が週1回、レッスン以外ではテニスについて考えたり、調べたりしない方も少なくないでしょう。

外国語スクールと同じで週1回のグループレッスン。予習も復習もしないでレッスンを受けるだけな方が「外国語が話せるようになる」とは思えません。(むしろ「気分転換のための時間を買っている」と考えれば理解できる)

初心者がテニススクールに通い始める際に思う「教えてもらったら普通に打てるようになる」は殆ど実現できないと思うのです。

だから「自分は運動が苦手だから上達しないのだ」と悩む人は考える方向性が違うと思います。教わる前提だから「皆同じ事を教わっていて自分だけ出来ないのは自分側に問題がある」と発想してしまう感じです。私も運動苦手だからそう考えていた時期が長かったです。

また、「コーチの教え方が悪いから上達しない」と思う方も居ますし、(必須な理解だと思う)『ボールが飛ぶ理屈』から説明しようとしても「理屈は良いから早く打たせろ」という方も一定数居られますよね。

ボールが飛び回転がかかるのは物理的な現象であり、ボールに加わるエネルギー量と方向性が飛びを決めると考えます。

hit a ball

「インパクト面が下を向いているのにボールが上に飛んでいく」事は”まず”ありえないです。(理由不明な結果はあるので絶対ではないが、確率のスポーツであるテニスにおいてそれを考慮する理由は薄い)

「インパクトでラケット面が下を向く打ち方になっている」人はそうなる理由を考えるべきであり、「正しい打ち方 (要は “形” ) をすればうまく打てる。練習を続けていれば直る」偶然への期待でしかないと思います。

forehand stroke

この辺りも「自分のテニスを上達させるのは自分自身。疑問に思い、考え、調べ、理解を深めていく事が上達。ボールを打つ経験だけでなく、テニスについて考える時間が無ければ目に見える形での上達は難しい」と考える理由です。

1回で2~3分しか教わる事ができないコーチが「任せておけば上達さえてくれる」と考えるのは無理があるでしょう。

もちろん、自分の状況、結果関わらず自分が教わるコーチを信頼する事はとても重要だと思います。

自身の年齢や社会的地位等から学生コーチ、若いコーチを軽く見る、接する方が居ますが、レッスンで関わるコーチを「一人前(?)のコーチとして認めていない」のは自分がその環境に参加している事自体の否定に感じます。(要は自分自身への否定?) 自身のお金と時間を費やして参加しているのですから「何をしに来ているの?」と思ってしまうのです。

テニススクール、限られた環境で練習するマイナス面

さて、私は、自身のテニスの上達のために

「自分のテニスを上達させるのは結局自分自身だ」

「テニススクールは、たくさんのボール、整った設備、コーチを含めた打ち合う相手付きのテニスコートの使用権を買っているようなものだ」

と言った “少し偏った” テニススクール感を持ち、今も通い続けている訳ですが、

これが

「テニスでは練習にも試合にも相手が必要だ」という事が前提になってくる

と考えています。

テニスの楽しみ方は自由で良い

テニススクールに通い、テニスをどう楽しむかはその人次第です。

皆、自分が同じかそれ以上にお金と時間を使って通っているのですから

「相手の練習機会を損なうようなやり方をしない」限り、レッスンの楽しみ方は人それぞれで良い

と思っています。

どこかの部活や選手育成の環境ではないのですから「上達する気が無いヤツは練習に来るな」といった事はありません。

了解も得ず「自分はがっつり打ち合いたいからそれに付き合え」とばかりに一方的に打っていくのも問題があるでしょう。

ただ、年齢や体力的な面からでも「頑張って上達するとか大変そうだから自分は必要ない」と言う方でも「上達できるなら上達できた方が良い」とは思うだろうと想像します。

続ける事は大変です。障害も出るし、気持ちも続きません。テニスを長く続けていくモチベーションのためも「上達したい」という気持ちはしっかり持っておきたいとは思います。

レベル分けという制度がもたらす弊害

テニススクールにはレベル分けを採用している所が殆どだと思います。

入門、初級、中級、上級とか、その人のテニスをコーチが査定して、初級認定の人は初級認定だけで構成されたクラスのレッスンに参加するという仕組みです。

tennis lesson

レベル差が大きい人達が混在する状況で練習して練習以前に互いに気を遣うので、同じ位の段階の人だけ集まって練習させるのはある意味合理的です。自分と同じ位のテニスが出来る人達とですから気兼ねなく参加できますよね。

(実際に知っている訳ではないですが、海外だと「初級者とプロに近いレベルの方が同じコートで練習する」ようなコースもあるようです。初級者は長く打ち合えないので細かく休憩させる間に上級者が練習するみたいなバランスらしい。)

ただ、

「同じレベルの人達としか練習しない」事の弊害

も内在していると考えます。

テニススクールでのレベル分けはかなり大まかな括りでしかありません。さもないと「バックでは打てないから上がれないまま」という事が起きてしまいます。熱心な方だと「とにかく上がりたい」とコーチに頼み込む方も居られます。

テニスに関する自己評価は周りの人との相対評価(比較)になる

テニスの上手さに「点数をつける」等して絶対的な評価をする事は難しいです。NTRP (National Tennis Rating Program) といった指標もあるのですが一般的とは言えません。

結果として、

『周りの人と比べた相対評価』で自分のレベルを判断する

ようになります。手っ取り早く実感できる部分ですからね。

「あの人よりストロークの威力はないけど、俺のサーブは速い」

「あの人はガンガン打ってくるけど俺は技巧派だから。スライスやボレーのタッチなら俺の方がはるかに上さ」

「まだまだ自信はないけど、とりあえずこのクラス(レベル)で練習出来る位には打てている」

みたいな感じです。(男性や一部女性で「マウントの取り合い」という事も絡んだりします)

今の自分が『妥当な姿』だと思ってしまう

私は「テニススクールに通い始める “殆ど” の方が上級位まで到達できる」と思っています。
(“全員” とは言えません)

スクールによってレベルは違うでしょうが、スクール上級と言っても「草トーナメントで上位入賞できる程の上手さでもないよね」と言えば通じるでしょうか。(技術はもちろん、試合経験もあります) 「上級なんて雲の上の存在」という訳ではないです。

ただ、上で述べたテニススクールの環境的な制限もあり、通う前の「レッスンに通えば上手くなる」期待は殆ど実現できない、1~2年通っても殆ど上達しない等は通った経験がある方なら感じる、感じたと思います。(かといって成人が利用できる環境はテニススクール位。経験者に教わってもまず「普通に打てる」所まで届かせられない)

同時に、スクールではレベル分けがされ、同じ位のレベルの人としか練習しないです。

tennis lesson

上級の人が初級のクラスに参加するなんて事は “まず” ありません。下のレベルの人と練習するのは「お金と時間が勿体ない」と思う方も大勢居るし、レベル混在で「うまく練習できる」プログラムが提供されている訳でもないからです。

周りに「あり得ない位レベル差を感じてしまう」上手い人も、1年でびっくりする位上達していくクラスメイトも居ない同じようなレベルの方と毎週練習をしている中で

「その環境に居る自分が “妥当” な姿だ」

と思ってしまう気がしています。

forehand stroke

本来ならもっと “はるか上” のレベルまで到達できる可能性があるのにそれに気が付かないままでレッスンを続けている感じ。

「周りの人と十分打てている。なんなら少し上手い位だ」

と思い、満足してしまっているような状態ですね。

侮蔑ではなく本来もっと上達できるのにという意味で「井の中の蛙大海を知らず」という言葉を使っても良いかもしれないです。

良い練習をしたければ相手にとって自分も良い練習相手であるべきだ

自己満足な練習姿勢

テニススクールのレッスンに参加する目的、テニスの楽しみ方は人それぞれで良いと思うので、

「サービスエースがいっぱい取れたから満足」
「ドロップショットが決まったから満足」

といった事を求めている方も居ると思います。

「日頃のストレス発散にボールを強打しまりたい」

という方も居るでしょう。

ただ、これらは自分が行う行動に対して満足を覚えるものです。

相手ありきのテニスにおいては自己満足の部類に入ってしまうと思います。

例えば、オートテニス (バッティングセンターのテニス版) に行き、マシンの出すボールをずっと打ち続けても良い訳で、そこで

「自分が満足するためには、そこに”相手” が必要だ」と言うのなら、

自分と同じかそれ以上に時間と対価を払ってレッスンに参加している自分以外の参加者を自分と対等な存在と認めていない

のだろうと思います。(「私は」ですが…)

2人でやらない、自分が打つ事だけなダブルス

「ダブルスは2人で攻守するもの」であり、「前衛が決めやすい状況を作るのが後衛の役目。相手に打ちづらくする、飛んでくるコースを制限する、後衛が状況を作りやすくするべく相手のプレッシャーをかけるのが前衛の役目 (それだけではないが)」だと考えます。

ダブルス形式で練習すると良く見る光景があります。

・互いに雁行陣で後衛同士がバンバンと打ち合っている。前衛2人がその速度についていけず、ただその場で棒立ち

テニス ダブルス

・ダブルス雁行陣。後衛同士の打ち合いに無理やり割り込む “横取りポーチ”。状況関係なく「次のボールでポーチする」と決めてしまっている

テニス ダブルス

・球出しの1球目から相手前衛のサイドをストレートに抜きにかかる

テニス ダブルス

・球出しの1球目からロブを打って相手側の陣形を崩そうとする。ただ、ロブを打った側は相手が返球するまで “棒立ち” でただ待っている

テニス ダブルス

全て「自分がボールを打つ事が目的」になっていて

「それを打つ事でどういう状況が生まれるか考えてない」

感じです。

結果、打った事で終わり、咄嗟の反応か、相手が備えていた場合の返球に全く対処できないダブルスになります。

「人は10回失敗しても1回の成功がそれの負の記憶を上書きしてしまう」

ものです。

同じミスを同じように繰り返している、やろうとしている事の確率が低いのには “明確な原因”があるはずです。出来ない事をやっている訳ではないですからね。ただし、「成功するイメージしか持てていない」人はその後も1/10以下の確率でしかプレイができないままです。

また、「1球目からストレートを抜く」「1球目からロブを打つ」は単純に言えば

「限られた時間の中で相手の練習機会を奪っている」

事にも繋がりかねません。

そのダブルス形式で各自何回ボールに触る機会が来るでしょうか?  1ゲームとするなら全体で4ポイントしかないですからね。これはダブルス雁行陣の練習であり、自分がストレートを抜く、ロブを打つだけの練習ではないのですからね。

「テニスは相手ありきのスポーツ」なのに相手の状況を考えられない、相手の事を観察しない、味方と協力して攻守する事を考えられないからこういった「自分が打つのが目的。自分が打ったら終わり。その後の事はその時に対応する」みたいなテニスになってしまうのだと思います。

練習内容を試合で “全く” 活かせない

テニスは一人ではできないですから、レッスン中のボレーボレー、ラリー練習、ボレスト練習等、打ち合う相手が居ます。

最初の頃は「相手の居るところに返球するので精一杯」でしょうが、次第に「ラリーを続けるだけなら問題ない」「ボレストを続けるだけなら問題ない」という段階に到達します。

そこで起きがちなのが「とにかくラリーが繋がるのが目的」となる打ち合いです。

例えば、かなりゆっくりした速度で “ただ” ラリーを繋げる。短いボールを2バウンドさせてから打ったり、相手の打ち損じを打ちやすい所に軽く返して繋げてあげたりです。

普段からそういう練習をしている方に起きるのが

「試合をやってみると全く “形” にならない」

です。

どうやってポイントに繋げたら良いか分からない。起きる状況に常に慌ててしまう。ミスをミスで返球してなんとなくポイントが入ってしまう、といったものになります。

「周りもそんな感じだから自分のレベルではそういうダブルスが普通なのだ」

ここでもレベル分けのマイナス面が出てきます。

きっと、レベルは同じ位でも自分達より圧倒的にダブルスが上手い”人達” (1人だとその人が特別だと思う) が居たら、自分のダブルスについて考える機会にはなると思うのですが、現実はそう行きません。

Game based approachの例

最近は 『Game based approach』という物が良く言われます。

「繰り返しフォアで何十球も打たせる」等ではなく、試合に起きうる状況を切り取って練習させる事も目的とします。

例えば、クロスとストレートを打ち分ける練習、アプローチショットを打って1stボレーを打つ練習、スマッシュを打って次をボレーする練習等。テニススクールのレッスンでも良く行われています。

ここで大事になるのは「練習内容を理解する」事です。

「アプローチショットを打って1stを打つ」内容なら、

相手選手はどこに居て、自分がどこにアプローチショットを打ち、相手はそれをどこでどう返球するか、次の1stボレーをどこにどう返球すべきか等を想定して練習をする

事でコーチがそれらをやらせる意味が出てきます。

aproach shot

球出しを2回打つという事だけ。アプローチショットをオーバーはネットさせる。何となく打っていて “そこに打った根拠” がない。「次のボレーで決める」事に繋げる1stボレーなのに強打してネットやアウトしてしまう。

実際の試合でアプローチショットをミスしたら1stボレーは打てないし、1stボレーを強打して相手に返球されたら位置的に自分は何もできないですね。

設定のある練習内容で簡単にミスする方、打っているボールに根拠のない方「練習内容を理解していないし、考える事をしていない」のが見て取れます。

試合で起こりうる状況に沿って練習をしているのにそれを理解していないから、せっかく練習しているのに試合で練習を全く活かせないのは当然ですよね。

「周りも同じようにやっているから自分が練習内容を無駄に消化しているのに気づかない」

という面も大きいです。

コーチは適宜、練習趣旨を説明するでしょうが「自分で考えない」限り、理解できないし、頭にも入ってこないです。コーチの説明中にボーっとしてしまっている人、雑談したり、よそ見している人居ませんか?

自分は良い練習相手になれているだろうか?

相手ありきのスポーツであるテニス。

「今日のレッスンでは良い練習が出来たな」と思う時って練習相手に恵まれた時が多い気がしています。

練習内容も関係するでしょうが、コーチ、同じレッスンを受けた人達の存在が大きいです。

「サービスエースがいっぱい取れたから満足」
「ドロップショットが決まったから満足」

等とは “違う” 充実感があると思います。

ただ「ラリーを繋げる」のを目的とするのではなく、

「あの人の力量なら足元の短いボールが課題になるはず。打てない訳ではなく何とか返せるボール。あの人がここで “良い練習” ができるために自分はどういうボールを打つのが良いだろうか」

という観点を持ち、練習に参加できていると自分も相手も良い練習が出来るのかなと思っています。

相手に確認できる訳でもなく、これも一種の自己満かもしれませんが「自分のテニスを上達させるのは自分自身であり、コーチや周りの人ではない」からこういう意識は持つ事が大事なのでしょう。

難しい所ですが「強く打ち込んで相手を負かす」「自分の技量を見せつけたくて届かない所に打つ」では困りますし、「相手のフォア側ばかりに打ちやすく続けてあげる」でもダメです。

試合での状況を考えるなら「フォア側に短く打ってベースラインから前に出させ、次をバック側に深く打って下がらせながら打つ。1球目か2球目で浅く浮いたボールが来そうだったらネットに詰める (スニークイン) の準備をしておき、ボレーで決める」といった事もできます。

tennis volley

1発で決めてしまってはラリーになりませんが、何往復もラリーを続けるだけでは練習に大きな意味がありません。「決められる状況を作れたらきっちり決めて終わる」も練習では大事な意識です。相手と競う訳ではありませんが練習に緊張感が出ると思います。(繰り返しますが、嫌味にならないよう、相手に嫌わないよう、相手の様子や空気を読んでやりましょう)

私は「昨日より今日、今日より明日の自分の方がテニスが上手くなっていたい」ですし、「今よりはるかに上達したレベルに到達したい」です。

プロになる訳でも世界No.1を目指す訳でもないですが「はるか上のレベルを目標としたい」のです。

さもないと「同じレベルの人達と練習する、練習できている自分に満足してしまう」と思うからです。(昔の上達できない自分がそうでした)

相手ありきのスポーツであるテニスですから相手が居ないと練習になりませんし、「自分がエースを取ったから満足」ではテニスの技量も試合での強さ (2つが揃ってテニスの上手さだと思う) は上がらないと思います。

「自分が良い練習にしたいので、その機会を相手に取っても自分が良い練習相手になるよう常に気を付けたい」

と思っています。

(この辺り、口では説明しづらいので) 相手に気持ちが伝わって練習相手としてうまく乗ってきてくれれば良いですが「ラリーを続けようとしてくれない」「練習内容通りにやらない」と思われる危険性もあります。加減も含めて周りや相手を良く見る事ですね。

また、「自己満のためだけに周りの人達を利用しようとしている」人が居るなら全力で自分の練習に付き合ってもらうべく “邪魔” をしますよ。(もちろんその人に取って課題の練習になるようにですよ。相手は迷惑でしょうがね。)