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コーチによって言われることが違う問題 (テニス)

コーチによって言うことが違う

テニススクールとテニスの上達

私は成人がテニスを始める際、”唯一” と言って良い選択肢が『テニススクール』だろうと思っています。

tennis lesson

整備されたキレイなコート、何百球ものボール、コーチを含めた打ち合う相手を1年を通して朝から晩まで自分が好きな時間帯で確保する。個人ではまず無理です。

自分のテニスを上達させるのは自分自身だから

同時に、私は「自分のテニスを上達させるのは自分自身。コーチや周りの人達ではない」と思っています。

“世界No.1” コーチに3ヶ月つきっきりで教わるとして「段違いに上達する」と断言するのはお子さん位でしょう。「上達すると思うけど、やってみないと分からないな」と思う、口にするなら『上達するかは自分次第』と自分でも分かっているのだと思います。(「指導が合わなかった」等の “言い訳” はあるかもしれません)

「テニススクールに通い、教えてもらえばテニスができるようになるだろう。上達するだろう」と思い、通い始めても多くの方が「思ったほど上達しない」と感じ、1年、2年経つ内にテニスへの興味が薄れ、テニススクールを、そしてテニスを止めてしまったりします。

※私は「テニススクールは、整備されたコート、たくさんのボール、コーチを含めた打ち合う相手を確保できる “コートの使用権” を確保している」という風に思っています。上達は自分次第。せっかく身近で使える良い環境をうまく使いたい。通うだけでは上達しない。本来もっと順調に高く上達できるのに出来ないままで居る。それでは勿体ないと思うのです。

普通に「うまい」レベルのテニスは難しくない

2012年の日本テニス協会の報告書には「過去1年に1回以上テニスをプレーした10歳以上の人工は373万人」とあります。今はもっと減っているでしょうが、日本人の数十人に一人が続けているスポーツが「特定の才能がないと満足にプレーできない」とは思えないですね。殆どの方がプロや競技者になる訳でもないし、お子さんや高齢な方もテニスを楽しんでいます。

何が言いたいかというと「自分は運動が苦手だから、自分にはセンスがないからテニスが上達しないんだ」という自己評価、自己認識はまず正しくないし、「上達しない現状から逃げる言い訳がほしい」のだろうとも思います。厳しい言い方で申し訳ありませんが、実際の所、うまく出来ない、楽しめないからテニスを止めるという方も「運動能力やセンス以前の部分で何かしら理由があるけどどれが分からない」と感じておられるのでは?? とも思います。似たように見える周りの方々が出来ていたりする訳ですからね。偶然か、取り組みを変える等して急に上達し始めたとして、それでも続ける気持ちが持てずにテニスを止めてしまわれるならそれは仕方ないですし、楽しむのが難しいなら他に楽しめる事を探すというのもひとつの選択肢です。

でも「誰でも一定レベルまで、普通に”うまい”と言えるレベルまで上達できるのに取り組み方、やり方がわからないだけで長く苦しむ、諦めてしまうのは勿体ない。(時間や費用勿体ない)」と本当に思っているのです。諦める前にまずは「上達できる」環境を整えたいです。

環境と言っても「スクールを変える」「コーチを変える」ではなく、自分の意識 (「教えてもらう」ではなく「何をどうすれば自分で自分を上達させていけるのか」を考えていく) がまず大事なのでしょう。

苦労しないで楽に上達したいという気持ち

私は、苦労したから上達する、たくさん練習したから上達するとは全く思いません。

でも、「コツさえ分かればもっと上達するはずだ」「きっかけがあれば大きく上達するはずだ」と、苦労する事を避け、自分で調べ、考える事、理解を深める事もせず、”上達する情報” の類、”コツ” の類をあれこれと欲しがる。情報を知って「理解している」つもりになる。「フォアハンドはこうやって打つんだ」と言ってしまう。(何かを学ぼうと思って本を買ったけど、買っただけで満足してしまう事ってありますね)

そんな意識で継続的、効果的な上達が続いていくとはちょっと思えません。結果に満足しなければまた違う “情報” を欲しがる。その繰り返しが “ずっと” 続き、気づけば数年という事になりそうです。

コーチによって言われることが違う

さて、参加する目的は様々 (※) でもテニススクールでレッスンを受けていると色々な悩みが出てきます。

※特定の部活ではないので「上達を目指さないやつは練習に参加するな」みたいな考え方は同意できないです。テニスをやる理由は人それぞれで良い。でも、周りの人も自分と同じかそれ以上にお金と時間をかけてテニススクールのレッスンに参加しています。「自分が楽しめれば良い。一発エースを取る、相手に勝って気持ちよく終わりたい。俺は俺、周りは関係ない。自分以外は全て “俺に負ける” 対象だ」みたいな考え方、行動、振る舞いは嫌いです。明確に制限し、こちらの練習に付き合ってもらいます。

先に述べた「上達しない」が最たるものですが、これに関連して

「コーチによって言われることが違う」

といったことが起こりますよね。

どちらも大事そうだけど、2つの内容に対しどう整合性を取ればよいのか分からない感じ。

コーチによって言うことが違う

内容によっては正反対の事を言っているように感じる事もありますね。「もっと前足に体重を乗せろ」と「体を残して手だけを前に出すイメージで打て」とか。

つきっきりでアドバイスしていく手法

以下はYouTubeチャンネル、スターテニスアカデミーさんの動画。アシスタントの女性がプロ3人から両手打ちバックハンドについて教わっているものです。

プロ3人による贅沢すぎる両手バックハンド講座!

教わっている季葉さんは普通に「うまい」と言えるレベルです。プロ3人のアドバイスで直後は改善しますが、打っている間に自分の打ち方に戻ってしまう。次のアドバイスがされる、次のアドバイスがされる、と続けていく中で段々とどうして良いのか分からなくなっていく印象を受けます。

ボールを打つのは自分自身です。プロ達が季葉さんがボールを打つ感覚、体の使い方をそのまま感じ取る事はできません。「自分のテニスを上達させるのは自分自身」ですからプロのアドバイスを自分で整理し、知識としてまとめ、自分が体を動かす (ボールを打つ) 事に反映させていく過程 (プロセス) が必要です。(「言われる通りにやる」ではその場だけの事になる)

ボールを打ちながらあれこれ情報を与えても、体を動かしながら聞くという状態、「教わっているのだから言われた点を直さないと」という負担、打ち続ける事による疲労、思考の低下等もあります。10kmのマラソンを走りながら「足を付く角度はこう、足の上げ方はこう」と言われても、頭に入って来ないし、自分で出来ているのか、出来ていないのかすら分からなくなるでしょう。アドバイスする側の熱意に対し、聞く側の理解と整理、実行がどんどん伴わなくなっていく感じです。

例えばですが、適度な休憩を挟み『座学』のような説明、会話をしての知識・理解のすり合わせ、相互の理解を高める (一方だけが理解している、双方の理解が違うのでは意味がない)。「じゃあ、今話した○○って理屈、ボールを打ちながら確認してみようか」と打たせ、また時間を取って確認、相互理解を高め、出来てきた段階で、新たなる要素を加えるといった流れが欲しいでしょうか。

tennis teaching

でも、テニススクールのレッスンでは1人のコーチが十数名を担当、1レッスンでコーチと直接打ち合い、アドバイスを受ける時間はせいぜい2~3分です。理屈を説明し、会話し、理解してもらうような時間は取れないです。コーチが丁寧に説明しようとしても「理屈はいいから早く打たせろ」という方も一定数居られますからね。(話を聞かず素振りをしていたりします)

※だからこそ、次に上げる『予習・復習』の習慣づけをしたいです。

うまく打てずに悩んでいる方に経験者がつきっきりであれこれ助言して改善させようとする場面を見かけることがありますね。教わる側は「時間を取って申し訳ない」とも思うし、アドバイスする側は「言ったことを実行した」と大いに満足かもしれません。でも、その時間は “ほぼ” 改善に結びつかないのは前述した通りです。

テニスを教えるのは「テニスがうまい」とは別の経験、知識が必要です。コーチが職業になる、テニススクールが商売になる位ですからね。

テニスイベント

「テニス経験者のお父さんがお子さんにテニスを教えようとするが全く上達せず、互いの気まずさから練習を止めてしまう」のはテニスあるあるテニスに対する知識、指導に対する知識がない方が「あれこれ教える」のマイナスにもなります。

野球でも、経験者のお父さんが昔、自分が教わった「上から最短距離で打て」「真上から腕を振って投げろ」等の現在では”正しくない” とされる指導をお子さんにしていたりもします。

個人的にでは、こういうつきっきりでアドバイスするのを良いやり方だとはあまり思わないです。アドバイスする側は良くても受ける側は負担にもなるでしょう。

※なお、先のバックハンドの動画は番組の企画ですし、この動画がダメといった事では全くありません。

テニスでも予習復習? コート外の時間が上達を決める

「とにかく毎日たくさんのボールを打つ」

という人と

「練習前に予習し、必要な知識を得て考えを整理した上でその点を重視した練習を行う。終わった後、映像等を確認して出来ていない点、新たな課題等を考え、必要な知識を探し、理解し、次回練習で何を確認していくのかを予習していく」

という人。

半年後、1年後に2人に開くかもしれない差を考えると恐ろしいほどです。(学校等での学習で経験あるでしょう)

テニスの上達を目指す際、後者のやり方ができないのは単にやり方が分からないからだと思います。

テニスは難しいもの。スポーツは日常生活と別の世界。ボールを打ちながらでないと上達しない。テニスコートで教わるもの。

そういった思いを皆が漠然と持っている気がします。

テニススクールのレッスンの場に行くまではテニスについて考えたりしないし、レッスンが終われば次回参加するまでテニスの事 (上達) は忘れてしまう。調べる、考えるはコート外でいつでも出来るし、大して時間もかかりません。教科書通りに進める訳ではいですからね。今はスマホひとつでYouTube動画も見られます。

とにかくたくさんボールを打つ。調子を維持するためも調子を戻すためもたくさんボールを打つ。その練習が目指すゴールに繋がっているのかも、自分が今どの位まで到達しているかも、そもそもそのゴールが “どこに” あるのかも分からないままでただ「進もう」としている感じ。やり方が分からないから、なんとなく “これ” を続けているという現状で本当に良いのでしょうか?

アドバイスはなぜコーチによって違うのか

「コーチによって言われることが違う」という話。

テニススクールでレッスンを担当しているコーチですし、言っている事が違っていてもそれぞれに “検討ハズレな” 情報を示しているとも思えません。

あれこれ気になってしまう事とアドバイス出来る対象レベル

先のスタテニさんのYouTube動画を見ても分かるように「ボールを打っている様子を見て修正すべきと思う点が “たくさん” 感じられる」という点が大きいのでしょう。出来ている方、知識を持っている方から見れば「あれも気になる」「これも気になる」といった具合です。

因みに、テニススクールのレッスンでは、上達していくにつれてコーチがアドバイスする内容はどんどん減っていくのを感じます。でも、それは「直すべき点がなくなった」という訳ではないのです。

以前にも書きましたが、スクール上級でも草トーナメントで1回戦突破がやっと、上位進出なんてまず無理なレベル、要は “全然” なのです。

それでも、各自が個性的な打ち方、個性的なテニスでも一定レベルまで上達したら初心者を指導するのと同じような感覚ではあれこれ打ち方を “イジレなく”なります。良くも悪くもテニスが出来上がってしまっていますからね。また、それまでやってきた事も相まって本人も「自分はそれなりに上達した」と信を持っており、あれこれ指導される、直されるのを “嫌う”方も少なくありませんアドバイスされたら直す素振りを見せつつ変えない、話が終わったらすぐ戻してしまうとか。

(これも自分で作ってしまう “上達の壁” だと思っています。他人が見た自分の情報ですから聞くだけ聞けば良いのでしょう)

そのコーチが重要と思っている事が指導内容に反映される

コーチも人間ですから、その人がテニスについて自分が大事だと思っている事が指導にも反映されるでしょう。

昔から「テニスは “足” ニスだ」と言われ、技術以前にフットワークといった指導はありますね。杉山愛さんを引退後のTV等のレッスン企画で拝見した際も「とにかくフットワークから」という感じでした。(プレースタイルからも重視されていた事を感じますね)

また、テニスは日々進化しており、新しい情報が広まることも多いです。例で言えば『プロネーション』や『脱力』等。流行ではないですが、そういう話が広まると「脱力だ、脱力」と指導に取り入れるコーチは当然居られます。

その他にも、自分が学生時代に指導者から強く教わった内容 (例えば『体重移動』)、テニスにおいて自分が重要だと思っている点、その時に自分が重要に思っている点が指導内容、アドバイスされる内容に反映されるのは当然の事と言えます。

もちろん、コーチによって経験、知識、考えた方も違うので全く同じ人がボールを打つ様子を見ても、アドバイスすべきと感じる点、内容がそれぞれに違ってくるのはやむを得ないと思います。

「自分のテニスを上達させるのは自分自身。コーチや周りの人達ではない」と考えるなら、コーチからのアドバイスは “情報のひとつ” であり、自分が打つ様子を動画に撮って自分で見て感じる事と変わりません。

得た情報を自分で整理し考え、改善するように動作に反映させていくのは自分しかできません。

「教わろう」「教わる通りにやれば良いんだ」と思ってしまっているからこそ『コーチによって言われることが違う』という事に混乱してしまうのかもしれませんね。

よく「そういう時は、自分が参考になると思ったアドバイス以外はスルーすれば良い」と言われたりしますね。そこで話は終わりがちですが「判断するには知識が要り、理解を深めないとどんな情報も上達に活かせない」という部分を足したいでしょうか。

逆に言えば、全員が全員、判を押したように全く同じアドバイスをする環境は逆に『気持ち悪い』です。AコーチもBコーチもCコーチも「体重移動だ」と全く同じ話をする。実際にそこが問題なケースはあっても「アドバイスする対象をきちんと見ていない」印象すら受けそうです。(あくまで例です。そんなレッスンでは参加者も疑問に思うでしょうからね)

自分以外が伝えている内容を把握していない

当然、他のコーチから自分が教わった内容をそのコーチは知らない です。

同じ人を見ており、他コーチと矛盾するような事は言っていないでしょうが、それぞれに言っている事ですから、聞いている側が「矛盾している」ように感じる事はあります。

このような場合、「Bコーチは○○と言っていました」と伝えたい所ですが、それを伝えた場合、Aコーチは「相手が矛盾すると感じているかもしれない内容をその場でうまくすり合わせて説明する」過程を加える必要が出てきます。

レッスン時間は限られますし、Bコーチが言った内容にAコーチは責任を持ちません。面倒に感じるかもしれませんし、最悪「いいから言われた通りにやって!!」と言われてしまうかもしれません。

(他にも「本にはこう書いてあった」「○○選手がこう言っていた」等、言葉は悪いですが、聞きかじった浅い知識を説明と “同等” の話としてぶつけてくる方も居ますよね)

できれば、レッスンの前の時間で「この間、Bコーチに教わった。こういう事を言われた」といった事を雑談で伝えておきたいでしょうか。そうすればAコーチは予めどういった説明をするか考えておける気がします。

自分の考えを強調する指導もある

昔からテニスの指導では「フォアハンドはこうやって打ちます」「ボレーはこうやって打ちます」という見本を示しつつ説明する手法が一般的です。

でも、指導を受ける側がそれ以外の情報に触れる機会が少なかった昔ならともかく、ネットやYouTube等で高画質な動画の見本をいくらでも見られるようになった現代において、まるで自分以外の指導者が居ないかのような「これが正解の打ち方です!」という感じの説明、指導には疑問を感じるようになりました。

tennis coaching

YouTubeでそういう『補足や事前注意のない』断定型の動画があると「打ち方が変だ」「ここはこうすべきでは?」みたいなコメントが付いたりしますよね。見る側も多くの情報に触れ、良くも悪くも目が肥えてきています。(世界ランクNo.1にすら「ここが悪い」と言ってしまうのがネットの世界なのですが…)

最近、現役や元プロの野球選手が自分の経験や知識、ノウハウをYouTubeで公開する事が増えましたが「見る側に誤解を与えない」「見る側は色々な情報に触れている」という前提からか「色々な考え方がある」「○○という話があるが自分の場合はこうしている」という自分の述べる以外の情報の存在、世間や見る側が色々な情報を知っている前提で話されるのをよく目にします。その辺のコーチが説明するのとは『影響力』が違う、常に気をつけないと間違った理解をされてる、怪我のリスク等もある等の認識もあるでしょう。

個人的にですが、どのスポーツでも「こうやるのが正解」みたいな指導、説明を見ると、ネットで情報に触れるのが当たり前の今の時代を避け、昔ながらのスタンスを変えるのを怖がっているようにも思えてきます。

(専門性を伴う商売だと “ここだけのノウハウ” が武器みたいな所がありますからね。でも、ネットYouTube等情報が溢れる中、テニスで “囲い込み” もないと思います。)

ボールが飛ぶ回転がかかるのは物理的な現象

私は「ボールが飛び回転がかかるのは物理的な現象でしかない」と思っています。

『ボールに加わるエネルギー量』『エネルギーが伝わる方向と角度』、そしてそれらの条件を整えるための『ラケットとボールの当たり方』が打つボールの質を決めると思っています。

飛ばしたい方向にまっすぐ進める スイング軌道と回転

また、ボールが飛び回転がかかる際に利用されるエネルギーは、大まかには「1. 飛んでくるボールが持つエネルギーを反発させる」「2. 自ら加速させたラケットの持つエネルギーをボールに伝える」の2つと考えており、それぞれのエネルギー量は『1/2 x 物体重量 x 物体速度 ^2 (2乗)』で表せます。

テニス ボールを飛ばすエネルギー

「ボレーはラケットを振るな」と言われるように時間の無い中、相手ボールのエネルギーも残っている、飛ばす距離も長くないボレーは「相手ボールのエネルギーを反発させる事に重きを置く」ショット。自らトスしたほぼ速度ゼロのボールを打つサーブは「自ら加速させたラケットの持つエネルギーで相手コートまで飛ばす」ショット。ストロークは状況によって「ボールのエネルギー、ラケットのエネルギーを組み合わせて使う」ショットという風に考えられます。

テニス ボールを飛ばすエネルギー

ボールにエネルギーを加えればいずれかの方向にボールは飛んでいきます。

飛ばしたい方向にまっすぐ進める

シンプルに「ラケットでエネルギーを加える」としてもラケットにエネルギーを持たせる、速度を与えるのは “人の体の動作” です。

例えばですが、フォアハンドストロークを打つ際のラケット加速は、

  1.  腕を動かす
  2.  体のねじり戻し (利き腕肩が全身すれば手に持つラケットも前進する)
  3.  足の力利き腕肩を前進させる
  4.  踏み込み

そのどれでも良いのです。

腕を動かす 上半身を捻る

身体のねじり戻し踏み込み

ちなみに腕を動かしているのは “aだけ” です。

全部、組み合わせ、特定の1つを重視する等して使い、ラケットを加速させ、ボールにエネルギーを加える。それにより「いずれかの方向 (飛ばしたい方向) にボールは飛んでいく」のです。

backhand shapovalov backhand

Squash Shot nadal smash

『体重移動』がこれだけ言われるのはそれ自体が『ラケット加速』に意味を持つからであり、ラケットが加速する事で『慣性の法則による物体の直進性』が高まるからでしょう。(ボールの威力も上がり、安定したインパクト、安定した飛びに繋がる)

慣性の法則

同時に「目に見える明確な体重移動をしないオープンスタンスで打っても、極端にボールに威力が落ちたりしない」理由でもあります。(説明できないから「体重移動がー」な話ではオープンスタンスの事をスルーしたり…)  当然、「踏み込んで打つ」方が加速要素が増え、エネルギーが増えやすい、ボールの威力は増しやすいと考えます。

 

『正解』を決めるのは難しいから

世界的トッププロを見ても、皆、それぞれに打ち方が異なる中、「この打ち方が正解」と決めてしまう、「正解を教えて!」と求めてしまうのには少々無理があると思います。

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経験や知識の無い初心者の方に「エネルギーを加える動作は色々ある。それらを組み合わせてうまく使う」と言ってもピンと来ないでしょうから、基本となる動作としての『ボールの打ち方』を示すのは意味がある手法だとは思います。というか、元々『ボールの打ち方』が定められた狙い・経緯は “そこ (入門者向け) ” なのでしょう。(料理手順の多くもそうですよね)

フォハンド 打点

テニスを続け、レベルも経験も増す中で、いつまでも「フォアハンドはこうやって打つものだ」「ボレーはこうやって打たないとダメ」と言っているのは、自身の上達に「理解が深まらないだろう」という意味で大きなマイナスだと考えます。

(「自分は初心者とは違う」と思っている、自分より手前の段階の方をバカにしたりしているのにです)

先に上げたスターテニスアカデミーさんのYouTubeチャンネルでも色々なプロをゲストに迎えてお話を聞かれています。「○○するのが正解」「こうやって打つものだ」と思考停止で自分の理解とするより、様々な話を聞いて、調べ、考え、自身のテニスへの理解を深めていく事が望ましいと考えます。「自分のテニスを上達させるのは自分自身。コーチや周りの人達ではない」ですからね。

「コーチによって言われることが違う」問題も見方を変えれば、自分で考える機会、色々な情報を知れる機会を得ているのだと思います。そしてそういうアドバイスを受けられるのは “今だけ” かもしれません。(上達している人には言いづらい)

「打ち方は教わるもの。教わる事をとにかく実行する」という意識のままではどうしても情報に混乱してしまいますよね。