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本当にテニスを上達させたいのですか? (テニス)

tennis backhand stroke

テニスを上達させたい

「テニスを上達するためには? 」

多くの人がいつも考えることです。

テニス バックハンド

私は初心者からテニススクールで始め、6年半経っても殆ど上達もせず、初中級クラス (入門、初級の次、中級の手前) の底辺に居ました。

ただ、幸いにもあるきっかけから1年強で中級クラスの上の方までレベルを上げることができました。(2019年追記: その後1年強で上級。最上級に上がる事を目指している所です)

上手い人はいくらでもいますから、自分の現状のレベルがどうこうではなく、私のような状況の人でも、一般的に皆が想像する「テニスをやれている」レベル、ある程度の速度でラリーを打ち合える、ダブルスに戦力の一人としてゲームに参加して楽しめる位まで無理なくたどり着けるということです。

6年半も続けていて上達しないにも程があると思うかもしれませんが、週1-2回のレッスンに連休毎に主催されるイベントレッスンにも積極参加してこの状態でした。

でも、初心者からスクールで始めて2-3年経つけど同じ位のレベルという方は少なくないと思います。上達しているけど中級クラスには上がれずにいるという方も多いでしょう。中級クラスといっても所属する人のレベルもピンきりです。

テニススクールで教わって身についたこと

こういう事を言うとものすごく誤解を招くし怒られそうですが、振り返って見れば

「テニススクールでコーチから教わって身についたことは殆どない」かなぁ

と思っています。

数えきれない位、打ち方も教わり、アドバイスも受けました。それでも上達しないのは教わる方にも課題が多くあるでしょう。

でも、通っていてもなかなか上達しない (普通の人でも2-3年、私の場合は6年半) のにはそれに繋がる「我々が気づけていない理由がある」と思っています。

スクールで教わる事も色々ある情報の一つです。

情報は自分が理解できて始めて知識として身につきます。

分からないまま、分かったようなつもりでいるだけなら単なる “文字の羅列” です。

それに気が付いたからこその「教わって身についたことは殆どない」かな なのです。

テニススクールを教わる場ではなくコートの利用権と考える

分かっている人も多いですが、スクールは「テニスを教える場」ではなく、お金を払って「ボールを打つ機会を提供する場」と考えたいです。

テニスを教えるにはテニスが上手いとは別の能力、ノウハウが要ります。経験者のお父さんが子供に教えようとする。初心者がテニスサークルに参加して教えてもらう。いずれも “全く” 上達せず、教える側、教わる側双方が “気まずく” なり練習しなくなるのは当然の結果です。

結果、成人がテニスを始める際、ほぼ唯一と言って良い存在がテニススクールとなるのですが、入会前の期待と違い、自分が思い描いていたように上達しないのは私も含めて誰もが感じる事です。

スクールを

「設備の整ったキレイなコート、何百球もある沢山のボール、コーチを含む自分と同等以上のレベルの打ち合う相手。これらを週のほぼ毎日、朝から夜まで好きな時間で確保できるコートの利用権だ」

と考えれば、1回90分程を2,000~2,500円位で確保できる仕組みは素晴らしいですね。コートを確保してボールも相手も、と考えれば個人ではかなり難しいです。

上達する方法は自分で見つける

私もそうでしたが、身の回りにある「テニスを教わる環境」を考えると、それを利用しつつも “自分で考え、工夫して上達する方法を見つける” 方が遠回りせず済むかもしれません。

自分の上達を強くコミットしてくれる存在(コーチ)がいて、その人から直接教われるケースはあまり無いですからね。

私は

「自分のテニスを上達させるのは自分自身でコーチや周りの方ではない」

と思っています。

「上達しないのはスクールが悪い、コーチの教え方が悪い」と言ってみても、

仮に

自分が世界的に著名で実績のあるコーチに3ヵ月みっちり教われたとして

「指導後の自分は、今とは見違えるレベルでテニスが上達している」

と断言するのは恐らく小さなお子さん位です。

恐らく「上達するとは思うけど、やってみないと分からない」といった返事になるでしょう。

自分でもこういう返事をするだろうと思うなら、

結局「上達は自分次第だ」と自分でも認めている。

自分が上達できない理由を “他” に求めたがっている。

という事かと考えます。

自分で自分のテニスを上達させるには、まず知識を得て、テニス及びそれに関連する事柄への理解を深めていく必要があるかと思います。

「勉強とか嫌だな」と思うかもしれませんが、面倒な苦労をせず上達したいという気持ちがスクールへの不満だったり、会った事も自分のテニスを見た事もない人の “コツ” を調べまくったりする事へ繋がっている気がします。

スクールでも個々の指導の範疇で、ボールを打たせる経験の前に身体の機能や使い方、それがテニスにどう関わってくるのかを説明するコーチもいらっしゃいますが、一定数居る「お金を払ってるんだから理屈はいいからとにかくボールを打たせろ」という方を無視することはできません。

1コート1~2名のコーチで10名以上のメンバーを担当する。80~90分のレッスンで1人がコーチと打ち合いアドバイスをもらうのは2分位だったりします。説明や理解に重きを置くより「フォハンドストロークの打ち方はこうです。気を付ける点はこことここ。それでは皆で打ってみましょう。」といった指導になるのは仕方がないとも言えます。

また、各コーチの熱意ではなく、スクール側には、言い方が悪いですが “簡単に上手くなってしまわれても困る、下手なままで熱心に練習してもらう方がいい” といった営業的な側面も多分にあるとは思います。

考えてテニスをやる

元横浜ベイスターズの仁志敏久さんは、内川聖一選手に聞かれ

「考えて野球をやれ。自分がやった事を説明できないとダメだ。この場面でこういうボールが来たからこう打った。成功しても失敗しても100%その理由を説明できる事が”考える”事だ」

といったアドバイスをされたそうです。

同様に「考えてテニスをやる」がテニス上達への道筋を作ると私は考えています。

また、ギリシャの哲学者エピクテトスは言ったそうです。

「すでに知っていると思っていることを学ぶことは不可能だ」

スクールでは『テニスの基本』を色々教わりますし、ストロークの打ち方、ボレーの打ち方など各ショットの打ち方も教わります。ただ、過去からずっと引き継がれている、それら「基本」や「打ち方」の説明に使われる文言、言葉が全てを表している訳ではないです。それだけで伝わらないから「〇〇するように」といったイメージ表現を付加するし、分からないから皆 “コツ” を聞きたがるのでしょう。

テニスをやっていると程度の差はあれ、皆、自分のテニスに自信を持ちます。

「俺はもう初心者じゃないんだから、ボレーの基本なんて十分出来ている」

とコーチの毎度の説明も聞き流してしまう。そして球出し練習になるとネットやアウトをしてします。ゲームになると同じミスを繰り返す。

首をかしげながら「いやー、今のは (打つ力が) 弱かったなぁ」

果たして、その人は自分が同じミスを繰り返している理由が把握できているのでしょうか?

何かコツを知ればミスしなくなるのでしょうか?

上達を助けるのは知識量

人は自分が知っている情報や知識の範囲でしか物事を理解することができないです。

聞いたこともない料理が1万円と言われ、それがアジアの料理だと聞けば「高い」と感じ、世界的に貴重な食材を使っている世界3大料理だと聞けば「妥当なのかも」と思います。料理自体は見た事も食べた事も無いのにです。

つまり、どんなに本質をついた有用な情報でも、それをきちんと理解し実行できるようになるかはその人の知識次第ということです。

同時にどんなに有益な情報でも、その情報が示したい内容に近しい理解をできるかはその人次第です。指導を受けても聞いた側が (言い方が悪いですが) とんちんかんな反応、受け答えをするのはその説明を理解するだけの知識や認識が不足しているからでしょう。プロの指導を受ければ上達すると考えるのは向こうからすれば「小学生が大学の授業を受けたがっている」ようなものかもしれません。そういった場で案外 “無難な事しか教えてもらえない” のは想定通りに伝わらず怪我に繋がっても責任が取れないからだと思います。

テニスを初めて間もない初心者の方に難しい専門用語を使っても理解は難しいでしょう。教える側が分かりやすい用語や例に置き換えて説明するか、教わる側が理解できるように知識を増やすしかありません。本当に上達したいと思うのであれば、理解できる内容に置き換えてもらうことより、情報自体を自分で理解できるようなることです。(高校の数学を小学校の算数に置き換えて説明しても高校の数学を理解したことにはなりませんから。)

まず、興味を持つ

上達したいのであれば「テニスに興味を持つこと」です。

「テニスをやること、ボールを打つことが好きか」より「上達してうまくボールを打っている自分になりたい」と強く思っているかということです。(お子さんなら結果として「うまくなって相手に勝つ」とかでも良いです。競技者を目指さない大人が練習中に勝ちに拘ると上達よりそれが目的になります)

「テニス楽しい」だけでは続ける事が難しいです。思うように打てない。ミスをする。相手の方が上手い。自分はそれでも良いと思っていても、少しずつ気持ちの負担になり、練習に行きたくない、もうテニスはいいかな、他にやりたいことが出来たとスクールを辞めてしまう方は本当に多いです。

皆、面倒なことは嫌なので「手っ取り早く上達したい」と思い、上達のコツなどを知りたがります。でも、皆分かっていることですが “上達に近道はない” です。

同時に、上達する方法が分からず遠回りしたり、いつまでもたどり着けなかったりということは往々にしてあります。

片手打ちバックハンド等は『ボールを打つ入口に立つまで』が難しく、それが『入口に立った所から始まられる』両手打ちバックハンドとの大きな違いです。前者が入口に立つまで苦労する時間を単純に上達のために使えます。

どこからか『片手打ちバックハンドを打つコツ』を聞いてきて半年やってみたけど全然打てるようにならないというのは「ゴールまでの距離は皆同じなのに取り組みが合っていないから前進しないまま」な例です。(ただ、マスターできる程度に上達するかは全く別です。「片手打ちバックハンドなんて意味ない。両手打ちバックハンドの方が強い。」と言っている人が両手打ちバックハンドをマスターできている訳ではない。なんだかんだフォハンド頼みという事はよくあります。本当にマスターしている方なら「どちらでも好きな方で」と言われるのでしょう。)

自分でゼロから考えるのは難しいので、色々聞いて、自分で調べた事を前提にテニスについて考える事になりますが、それを適切な形で理解し、上達に繋げていくためにも、それらを考えるため、考えらえるための知識を増すことです。

“当たり前だ” “常識だ”とされている事でもその意味を考えてみないと理解できていない可能性もあります。

例: 「インパクトでラケット面は地面と垂直だ」と言われるのは何故でしょう?

ボールを真上にポンポンと突き上げる際、ラケット面を真上に向けない、地面と垂直のまま打つ人は居ませんね。

テニスをやっていると「技術の向上 = 上達」だと考えがちですが、私にはその技術が「10cmの違いを打ち分けて的に当てるようなもの」に感じます。

試合の勝ち負けを決める1ポイントには必要かもしれませんが、皆が思う「安定してサーブが打てる、安定してストロークが打ちあえる」ことに10cmを打ち分けられる技術は必須でしょうか?

理解して実践できるようになるべきことは技術よりももっとはるか手前のごく基本的な理解、

例えば「正しい体の使い方をしてラケットをスイングできること」といった事だと思うのです。

陸上世界大会の短距離決勝、一列に並んでスタートした選手達の走り方が”皆バラバラ” ということもありえません。

陸上短距離スタート

人の身体の構造や機能、仕組みは皆ほぼ同じです。

「世界で一番速く走る」という目標の前に「俺はこういう走り方の方が楽だから」といった個性は不要です。

まずは「正しく体の機能を使って走る方法」という大前提を理解、実践できないとスタートラインにすら立てないでしょう。選手もそういう練習をしているはずです。

そうでないと結果は出ないし、最悪怪我をしてしまいます。

上達に必用な知識を得る (インターネット)

テニスの指導は“形” を作らせる事をその基盤にしています。

インパクトの形、テイクバックの形、フォロースルーの形、トロフィーポーズの形等々です。

考えて見ればこれは

「プロ選手等の打ち方を雑誌や書籍に載る写真でしか確認できなかった頃の名残だ」

と思います。

私が最初にテニスをやった20数年年前は、情報と言えば書籍だけ。TV中継もWOWOWがグランドスラム大会を放送する以外はニュースも含め地上波は殆ど扱っていません。雑誌や書籍を見ながらマネをして周りの人とあーだこーだ言いながら、試合映像などを見て比較していました。

ただ、

「ボールが飛び回転がかかるのは物理現象でしかない」

のです。

インパクトで一定方向にエネルギーが加わればボールはその方向に飛んでいきます。(ラケットが前を向いていてその方向にエネルギーを加えているのにボールが後ろに飛んでいくという事は “実質的には” 起きません。)

我々が各々個性的な打ち方をしていても最低限テニスが出来ているのはこのおかげです。プロ選手のような打ち方ができないと全くテニスが出来ないなら皆続けていないでしょう。

「俺は逆立ちしながらフォアハンドを打ちたい」という人が居たら、皆「その打ち方は間違いだ」と笑うでしょう。

ただ、トップのプロ選手ですら、各自で打ち方が違っています。

この事から

「身体の機能や仕組みを使ってラケットでボールを打つ事において (唯一とは限らないが) 絶対の正解は定められない」

と言えるのだろうと考えます。

「その打ち方は間違い。正しい打ち方はこうだ。」と指摘し合う事が起きますが、その方が “絶対の正解を定めらえる世界でも稀有な存在” でもないならそのやり取りは不毛です。

世界的なトッププロですら「少しずつ(ほぼ)全員が間違えている」という事になりますし、間違っているからうまくならない事の根拠にもなりません。

ただ、「(その人の能力の範囲で) 最も速く走るには?」で分かるように

「安定的に、継続的に、再現性高く、疲れにくく、大きなエネルギーを出す、それをコントロールする」身体の使い方

は皆に共通してくるものです。

現在はスポーツ科学も発展し、身体の仕組みや使い方の研究も進んでいます。研究された情報も我々が手に入る状態で広く公開されています。

テニスの指導が20数年前から変わらないままなのであれば、我々自身が知識を蓄積し、テニスへの理解を深めていく必要があるだろうと思います。

我々が同じミスを繰り返すのは、知識や理解のないまま、やりやすいからという理由で使っている自己流フォームの影響である場合は少なくありません。

情報を理解するにも知識が要る

昔と違って今はネットで情報を調べることができます。

気軽に手に出来る情報源が雑誌や書籍、テニス中継の解説位だった昔は海外の最新情報を執筆者、紹介者が “個人的フィルター” を通した説明していても私達には分かりません。

※今は聞いた情報をネットで調べれば、真偽はともかく他のソースを探せます。

例として、海外には “egg ball” という言葉は使われていません。

エッグボールという球種は存在しないのです。(Googleで検索すれば “卵” の画像が出てきます。)

エッグボールという球種はない

「エッグボールを打ち方はこうだよ」と説明される方は “日本で独自に編み出された打ち方(?)” でも教わったのでしょうか?

また、最近使われる事が多い言葉に “脱力” があります。

「強いボールを打つには脱力が必要だ。」「もっと脱力を意識しろ。」といった具合です。

この “脱力” を英語で考えれば “Relaxation”

リラクゼーション、つまり「リラックスした状態」という事です。

「リラックスした状態でラケットをスイングしなさい。力んだ状態ではスムーズに速く振れないよ」

なら誰でも分かるし、意味もすぐに理解できます。

The importance of relaxation to get your good forehand.

みたいな海外のテニス指導を「強いフォアハンドを打つの “脱力” の重要性」なんて和訳に意味がないでしょう。(どこから始まったものか分かりませんが商業的な “敢えて” を感じます)

インターネットのプラス面

書籍と違って直接、“今、この瞬間の世界基準の情報” を1つではなく複数の中から見比べて比較することもできます。

選手がボールを打つ練習風景等の動画や様々なコーチが解説する動画も見ることができ、実際、YouTubeで選手のフォームを見ている方も大勢居られると思います。

最近は国内の指導動画も整ってきた印象です。

テニスフォーラム: あなたはラケットの「面」に力があることを意識できていますか?

前述したテニススクールの例ではないですが、国内YouTube動画は「昔から続く指導内容、スクールで教わる事を動画で説明しているだけ」でした。雑誌解説の動画版です。(載せている人、グループも少ないし、継続されずに急に更新が滞ります。継続するには熱意やパワーが要りますからね。) 雑誌読者同様にそういう物を求めている方も居るでしょうが「スクールでボールを打ちながらの方が良くない?」と思います。

私が上達を目指し始めた10年ほど前、海外に指導動画ばかり見ていました。(英語ですがテニス用語含め同じ事を繰り返すのでなんとなく分かります。)

ここ数年で国内のテニス動画も色々選択肢が増えてきました。内容は様々ですが上記のテニスフォーラムさんや色んな場でレッスンをされている鈴木貴男選手の動画等は「なぜそうするのか」を、根拠を踏まえて説明されているので参考になります。

「フェデラーがやっているから」「そのほうが力が入るから」「〇〇する動きに近いから」では理解が深まりませんよね。

インターネットのマイナス面

ただ、ネットの欠点は情報量が多すぎることです。

『時間をかけて検索して見比べていくのが面倒くさい。自分が知りたい事に関して直接的に説明している情報が欲しい。長々と読んでいく、見ていくのが面倒くさいからシンプルに “上達のコツ” だけ知りたい。』

その心理は理解できますがネット上にある情報も玉石混合です。

ソクラテスの名言と言われるものに

「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。」

というものがあります。「無知の知」も言われますね。

上でエピクテトスの言葉「すでに知っていると思っていることを学ぶことは不可能だ」を書きましたが、自分が「知らないことを自覚する」から学びは始まるのです。

熱意のある小学生でもいきなり大学の授業に参加し内容を理解するのは難しいです。

「自分は初心者じゃないんだ。結構テニスについて知っている。いつもネット等で調べたりしている。それなりにテニスも上手いはず。きっとちょっとしたコツが分かれれば今よりもっと上達するはずだ。」

今まで練習してきた時間は大事ですし、時間をかけてきた自信もあるでしょうが、

「自分が出来ていないことを自覚し、それを埋めていく事が多くの人にとっての上達に繋がる。」

と思っています。

バックで打ちたくないから常にフォアで打とうとする。コーチがフォアにしか打ってこないから常にフォアの構えで待っている。常に1つの打ち方で高低遠近ボレーを打とうとする。予測やそれに基づく移動をせず常にその場から打ちにいこうとする。

そういった沢山残っている『自分が出来ていないパーツ』を埋めないまま『ごく一部の出来ている部分』ばかり目が行ってしまっては、特定の条件以外はミスばかりになるのは当然です。

強いボールで相手を打ち負かしたい、ドロップショットで相手の裏をかきたいのは分かりますけどね。

自分が既に知っていると思っている事、皆が当たり前だと思っている事は本当に理解できているのでしょうか? 言葉通りに把握しているだけかもしれません。何に意味があり、何に意味がないのかを理解するにも自信に知識が必要ですね。

対価も払えない、苦労もしたくないでは、本当に上達したいのですか? と思ってしまいます。

テニスは難しいのか?

全てのスポーツに言えるのでしょうが、

人が持つ体の機能や仕組みは多くの方が共通するものなので、運動もその機能や仕組みの範囲で行う事を考える必要がある

と言えます。

他の人より体が柔らかい、筋力があるといった特性は活かした方がよいでしょうが、「身体の機能や仕組み上、ある条件下でラケットを振る際の腕の各関節の角度、使い方はこうある方が望ましい。」といった事は皆共通してきます。(身体の仕組みが同じだからです)

身体が柔らかいから関節の角度を根拠なく変えてしまう。他条件はおざなりにし筋力に頼ったスイングでなんとかしようとしてしまうのでは。総合的な意味でのテニスの安定性を高めるのはむずかしくなってしまうでしょう。

自分は出来ていると思っていても改めて動画を撮る等して確認したいです。(もちろん、理解するには知識が要ります。)

それぞれが100km/hのボールを投げられる能力があるとして、人によって速度が出ない、ホームベースまで届かないのは「ボールを投げる」ための基本的な体の機能をうまく使えていないという点が大きいでしょう。

スポーツで用いる使い方も日常生活で行う動作の延長線上にあるものです。固有の特別な動作ができないとテニスができないという事もありません。(固有に見える動作も我々が出来る動作の組み合わせだったりします)

行うべきは「身体の機能や仕組みを理解すること」「その使い方を学ぶこと」です。

コートに立ち、ボールを打つ経験の中だけではそういった知識は得られないでしょう。(打っている間になんとなくいい感じで身体が動くようになった。としても次の日、その感覚が分からなくなった際、戻る指標がありません。好調時の映像を見るのは他人のフォームを見るのと同じです。)

日常動作の経験だけでいきなり200km/hのサーブを打ちたいと言っても練習で怪我をするのが目に見えています。

世間に溢れる上達のための情報やコツ

次のような話を聞いてどう感じるでしょうか?

「フォアハンドのトップスピンがかからず、ボールがすべてフラットドライブになります。グリップはセミウエスタンで打ち方はダブルベントです。脱力は気をつけているのですが、自分ではプロネーションができていない、テイバックが大きいことでレベルスイングになっている、フォロースルーで手に力が入っていると考えています。フラットドライブばかりでエッグボールが打てないのでプロネーションのコツを教えてください。」

その人が打っている姿は見たことがなくても、それぞれのキーワードを理解することなく聞いて覚えたままに使っているだろうことは想像できます。本当に理解している人はこういった質問の仕方はしませんし、分析できているなら自分で直せますからね。

私は身の回りで聞くテニスの上達のため情報は「教える側に都合よくまとめられている」と強く感じます。

上記のような直接的でないキーワードを使って理解しづらくする必要はないですし、世の中で当たり前として話される情報通りに練習して、皆一律に自分が思ったように上達しないのはおかしいはずです。

「テニスが難しい」というより「教わる情報に問題があるのでは?」と考えても不思議ではないでしょう。(繰り返しますが「コーチの教え方が悪い」という指摘ではありません。)

昔以上に身の回りに溢れる情報、それらをどう把握し、解釈・理解し、自分のテニスに反映させていくのかは自分次第です。

サーブの打ち方は3種類?

サーブを教わる際、フラットサーブが基本、回転をかける応用としてスライスサーブとスピンサーブがあると教わります。皆速いフラットサーブを打ち、回転をかけるサーブを使えるようになりたいと考えます。

ただ、我々が “回転をかけないという意味” で使っている『フラットサーブ』というサーブは事実上、ありえないです。

重力や空気抵抗等の諸条件を無視したとしても、身長2mの人がベースライン中央付近からネット中央の最低部を最短距離で狙うサーブを打つ場合、ネットの上、約10cmの空間を”必ず”通過しないとサーブは入らない計算になります。

ボールの直径は6.8cmほどで通過時のネット白帯との隙間は3.5cm位。そんな精度でサーブは打てません。我々が言う「フラットサーブ」は自分の関与外にある空気抵抗や重力でたまたま入っているだけです。

「トップスピンをかけてフォアハンドストロークを打つのが基本」なら同じベースライン付近から打つサーブは「回転をかけて打つのが基本」となるべきでしょう。(「打点の高さが違うから」という指摘は上の説明で否定できます。2mでも無理なのですから)

我々がフラットサーブと呼ぶショットは区分としての “オーバーヘッド系” で言うならネット近くで打つスマッシュで使うようなものだと考えます。

「じゃあ、なぜ、回転をかける打ち方前提でサーブを教えないのだ?」

という疑問に対しては、

道具の進化により、我々でも速いボールが打て、回転がかけられるようになった当時、トップスピンをかけてストロークを打つのが基本となった昔に、サーブについても同じ変化を加えるべきだったのにそれをやらなかった。

フォアハンドストロークよりサーブの打ち方を説明、理解してもらう方がはるかに難しいので、それまでのボール速度が遅く、空気抵抗や重力頼りで打っていたサーブを前提とした指導そのままで現代まで続いてしまっているから。

だと推測します。

うまく打てなくても「サーブは難しいから簡単に上達しない。仕方がない。」で皆、納得してしまいますからね。

ただ、指導側はそうでも、学ぶ側からすればそれでは困ってしまう訳です。

ボールを打っているだけでは上達しない

テニスではボールを打っている方が楽しいし、たくさんボールを打たないと上達しないと言われるので、皆練習と言えばとにかくボールを打つことだと考えます。

また「上達= 技術を高めること」だと皆が思っています。

仮に、たくさんボールを打って調子がよくなってきたとします。

でも、機能良かったフォアが今日は調子が悪い。先週はフォアが調子悪かったけど今週はバックが調子悪いということが起こります。また、「スランプ」と呼ぶような中期的な不調に陥ることもあります。

不調が続くと、好調時の動画を見て参考にしようとしたりしますが、それは調子も戻すためというより他人のフォームを見て参考にしようとしているのと同じでしょう。

そして調子を戻すための尚さら多くのボールを打とうとしますよね。

「ボールを打つ経験や回数無しに上達するのが難しい」 です。素振りだけでは実際のボールに対応できません。

ただ、同時に「テニスについて考える機会無しに上達するのも難しい」と考えます。

仁志敏久さんの

「考えて野球をやれ。自分がやった事を説明できないとダメだ。この場面でこういうボールが来たからこう打った。成功しても失敗しても100%その理由を説明できる事が”考える”事だ」

というアドバイスを紹介しましたが、調子の良し悪しを維持するだけの練習では不調を回復できないし、考えて知識を深め、テニスへの理解を深めていかないと現状より上を目指す指標ができません。(何となく「大会で優勝する」とかでは上達しないでしょう)

自分がどうやってボールを打っているのかを説明でき、それを聞いた人がその場で再現できるということ

私は

「テニスの基本の理解とは、自分が体をどのように使ってボールを打っているのか、具体的、論理的に他の人に説明ができ、その説明を受けた人がその場でそれを理解し再現できる状態」

を言うのかなと思っています。

自分がどうやってフォアハンドストロークを打っているか、初対面の人(テニス経験者)に説明しその場で同じように再現して打ってもらえる自信はあるでしょうか?

テニスの指導でも

1)昔から使われてきた基本とされる情報・文言を伝える

2)「◯◯するような感じ」「◯◯するイメージで」といったイメージ表現で補足する

という手法を取られる事が多いですが、これらだけでは理解できないから皆 “コツ” を知りたがる訳ですし、デジタルデータの様にイメージを相手の脳にコピーできないから各自の解釈任せ「同じ事を習っているのに皆、打ち方が違う。コーチの教えている通りに打てない。」という事が起きます。

テニスの指導にはテニスが上手いとは違うノウハウや経験が必要と書きました。

伝達され続けてきた文言や表現をそのまま使う。イメージ表現に頼る事をしないようにして、自分の打ち方を言葉で具体的な根拠を持って説明する事を考えると、根拠を示して説明するにも知識が要るし、「この情報、伝え方で初対面の相手が理解できるのだろうか」と考える事で自分の打ち方、テニスの理解と改めて向き合える事ができると思います。 

「フォアハンドのトップスピンがかからず、ボールがすべてフラットドライブになります。グリップはセミウエスタンで打ち方はダブルベントです。脱力は気をつけているのですが、自分ではプロネーションができていない、テイバックが大きいことでレベルスイングになっている、フォロースルーで手に力が入っていると考えています。フラットドライブばかりでエッグボールが打てないのでプロネーションのコツを教えてください。」

という質問の例を上げましたが、きっと質問している側もそれを回答しようとしている側も「トップスピンの発生条件を科学的根拠を持って定義し、それと身体の仕組みや使い方がどう関与してくるから….」みたいな事は考えてみてもいないと思います。

“何となく” で意味を理解している業界用語、ビジネス用語、IT用語をちりばめて「今度のスキームはバジェット的に難しいので…」と打ちあわせしている人達みたいですよね。

まとめ: 皆が考えるテニスの上達は難しいものでもない

自分のテニスを上達させたいと思うのであれば

「自分は、基本はできている。何かコツさえ分かればもっと上達するはずだ。」

と言った考えを見つめなおし、

「自分は何が出来ていて、(恐らくその何十倍もあるであろう) 何が出来ていないのか。」

を考えたいです。

考えるには知識が要りますし、昔と違って情報は手に入れやすくなっています。

昔から伝達されてきた指導内容、コーチが昔習って今説明している文言にテニスを理解するための全て、多くが含まれている訳でないです。伝わらないからイメージ表現を付加しますし、それでも理解できないから皆 “コツ” を知りたがります。コーチは自分が出来るようになっているから昔教わったままの文言を “そのまま” 使います。結局、聞く人の解釈依存なのは自分の時と変わらないのにです。

世の中に溢れる「常識」や「コツ」を参考にしても皆が思ったほど上達していないのはこのためだと考えます。

これは「コーチの指導が悪い。スクールが悪い。」という事ではありません。変えるには膨大なエネルギー、リソース、時間が要りますし、場合によっては伝統的な内容こそ正しいと考える方々や既存のやり方で利益を守りたい方々から弾圧されますからね。

私も初心者の時からテニススクールに通い続けています。学生でもない私にとっては確実によい練習環境が確保できる貴重な場です。

繰り返しますが、苦労と時間をかけずに上達したい方は対価を払い専属コーチを雇う等した方がよいと思います。(希望が満たせますし、時間をお金で買えるのなら効率は良いです)

苦労はしたくないけどお金もかけたくない方は今のまま続ける感じでしょうか。上手くなるかもしれませんが、ずっとそのままかもしれません。でも上達しないのを誰かのせいにするのは困りますね。

私が勧めるのは「テニス楽しい」だけでなく「自分の上達を実感できる事。上達の伸びしろを楽しみにできる」方法。「ボールを打つ経験や回数を大事にする」 のと同じ位「テニスについて考える機会を大事にする」事です。

「〇〇すればOK」とやり方が転がっているものではないので、自分で考えて学ぶ (完全に “自習” ですね) 必要がありますが、軌道にさえ乗れれば労力に見合う実感は得られますし、結果もついてくると思います。

※私はそのやり方で『6年半経っても初中級の底辺』から『約4年で中級・上級と来て最上級に上がろうとする所』まで来ていますから。

プロや競技者になるレベルまで引き上げる方法は私には想像も付きませんが、皆が目指す「しっかりとしたボールでミス無く安定したラリーが続く。ゲームに参加しプレイヤーの一人として機能してそれを楽しむ」レベルであれば、多くの人が到達できると思います。

現状上手くできていないのであれば、今まで通りやそれに準ずる方法ではなく、具体的に効果がある方法を考えるべきです。

「上達を目指してたくさん練習しているし、YouTubeでも選手の動画や指導動画を見ている。自分でも色々調べてみている。それでも上達しないんだよ。」

という方は多いと思います。

私もきっかけを得る前はそうだったので、振り返ってみると努力するベクトルが効果を生む方向に向いていなかったかな」と思います。

何がきっかけになるか、テニスへの理解を深める事になるかは一概には言えないかもしれません。

ただ、せっかく色々な情報が手に取りやすい状況にあるので、

・テニスに限らず、様々なスポーツの情報、指導内容、そのスポーツで取り入れられている練習方法や道具を広く興味を持って調べてみる。(私は野球、サッカー・フットサル、バトミントン、バスケットボール等を見ています)

・テニスの情報でも特定のコーチ、グループの情報だけでなく、独自の解釈で述べているように感じる物、プロのレッスン動画、プロを育成しているような組織が発信しているもの等、広い角度で情報を見ていく。その説明では「独自理論」と言っていても身体の仕組みや使い方上、共通する事を前提に。多くの事に気づいたりします。人に当てはまらない独自性を指導に組み込む事はないですから。見比べていく事で自分の理解が深まります。

・雑誌に載る「最新のフォアハンドはこれだ」みたいな記事は、執筆者、紹介者の解釈を通して伝えらえているし、執筆者が違っても今号と前号で180度逆のサーブの打ち方を紹介しているなんて事も起きない。参考にするにしても同じ事を説明している海外のYouTube動画等も見ていく方が理解や自分なりの解釈も深まる。

私が始めたのはテニスを始めて6年半経った後です。いつ始めても今更という事はないでしょう。今日始めるか、ずっとそのままかです。