スイング時の脱力で起きること
テニスの最近における流れは「脱力」なので、グリップは強く握らない、手や腕に力を入れないと言われます。
個人的に、フォームにおいてこれらが顕著に違いとして生じる、見て分かるのが「テイクバックからラケットを振り始める」際だと思っています。
スイング開始時
飛んでくるボールを待つ構えの段階ではラケットヘッドを立てた状態で持っているので、テイクバックからラケットを振り始める際、ボールに当たるラケット面をボールの高さに合せるためラケットヘッド側を倒していく必要があります。
フェデラー選手のテイバック
ただ、従来からあるスクエアスタンスでは「テイクバック = 振り始めの形 (準備完了)」なので、手や腕の操作でラケットを振り始めの位置、高さにセットしてあげる必要がありました。
これがいわゆる「ラケットダウン」と言われるものだと思います。
「ラケットダウン」が必要となるスクエアスタンスによる横向きテイバック
この場合、立っているラケットヘッドを後方(バックネット側、及び背中側)に倒すためには、手首を甲側に返す(※) ことでラケットヘッドを落とす形になります。多分テニスをやっている方ならイメージできる動きだと思います。
※実際は手首の動きではなく、よく言われる”プロネーション(回内)”の逆側の動きであるスピネーション(回外)の動きですね。
現代的なフォアハンドでは「ラケットダウン」するタイミングがない
一方、現代的なフォアハンドは体を捻ることでテイクバックをし、それを戻すことでスイングを開始するので、スクエアスタンスのテイクバックのようにラケットを倒している明確な時間 (余裕)がありません。
また「体が停止する時間」は、
慣性の法則からも停止した物体が再び動きだすには強いエネルギーを使ってしまいますし、停止は筋肉の緊張を産み、体を捻ったテイクバックからの一連のスムーズな動きの流れを阻害してしまいます。つまり完全な停止状態はない方が望ましい
はずです。
(テイクバックで一瞬止まったように見えても体の筋肉は少しずつ動いているイメージ)
そこで、ラケットを立てた状態でテイクバックした後、体を戻す勢いに伴ってグリップ側からラケットを引いていきます。
慣性の法則でその場に留まろうとするヘッド側と引かれて動き続けるグリップ側が逆方向の力で釣り合いながらラケットは倒れます。(棒倒しや、だるま落としのイメージ)
ただ、留まろうとする力より引かれる力の方が強いので、ラケットはグリップ側からボールに向かい、ラケットヘッドは後方から追従していきます。
これは「脱力 (=英語で言えばリラックス)」しているからできることで、グリップに力が入っているとこのラケットが自然と倒れて引かれる動きが起こりませんね。
テイクバックからスイング開始時における手首の返し方
グリップから引かれて倒れるか、意図的に自分で倒すかの違いです。わかりづらいですが手首の返し方に注目していただけるといいかと思います。
フェデラー選手のフォアハンド
元々スクエアスタンスで打っていた頃の癖 (未だに初心者はスクエアスタンスで習いますね。。)か、腕でラケットを強く振ろうとする意識か、グリップに力が入っている人はラケットヘッドを倒すためには意識的な操作で倒すしかありません。
また、倒し方が不十分(倒しきる前に降り始めるなど)だと、グリップよりも上側からボールに向かっていってスライス回転がかかったり、ボールに安定して当てることができなくなったりします。
厚いグリップ、大きなテイバック、体の周りを回ってくるようなスイング
また、軟式出身の女子選手などで厚いグリップでフォアハンドを打つため、ラケットヘッドを背中側に倒したようなテイクバックを取るフォームもこの傾向を感じます。
遠心力で打つ?
大きなテイクバックを取り、身体から遠い位置にラケットヘッド側がある状態からだと、コマのような体の軸の回転で身体の周りをブーンと回るようにスイングする事になります。
こういった打ち方を「遠心力で打つイメージ」と言われたりしますね。
ただ、物理的に言って「遠心力という力は存在しない」そうです。
存在しない力が「ボールを飛ばすコツだ」というのは説明になっていない
ですよね。
(言い方が悪いですが “超能力で…” と変わりません。)
慣性の法則により速度を持ったラケットはその直進運動をし続けようとする。グリップを持つ手はラケットを回転運動の中心である身体の方に引き寄せようとし、ラケットの直進軌道を少しずつずらしていく。その結果が円周運動のようなラケット軌道になる。手がラケットを引き寄せる力とラケットが直進しようとする力の働く方向(ベクトル)の違いから、手が円軌道の外側、中心から外に向かって引かれるような力として感じ、それを「遠心力」という言葉で示している。
ということのようです。
我々がラケットを加速させたいのはボールを飛ばす方向・角度に向かってであり、それと90度近く方向性が違う遠心力でボールが強く飛ぶという説明もおかしいですよね。
自身がラケットを加速させ速度が高まれば、自分がラケットを引き寄せる力も強くなる、結果、「大きな遠心力を感じる」という事だと考えます。
よくTVで、元プロ野球選手、プロゴルファーの方々が「遠心力で飛ばす」と言っているのはイメージを混同しているものであり、その人達は、身体の機能をうまく使って強くバットなりクラブなりを振れているというだけだと考えます。
それが出来ていない我々がイメージと実際の動作を混同しても仕方ないでしょう。
また、「距離 = 速さ x 時間」の計算から分かるように
同じ時間で同じ角度動く場合、中心から遠い物体の方が速度は速い
です。
「ラケットの先の方で打つ方がサーブの威力が上がる」「プロ選手は先の方で打っている」みたいな話はこれが関係しているのでしょう。(腕よりもラケット、グリップ側よりヘッド側の方が少しだけ速いはずです)
ただ、長い距離を移動するという事は移動に大きなエネルギーを必要とするということで、回転を始めたヘリコプターのローターの速度が速くなるのに時間がかかるように
中心から遠い状態のままでは加速に時間がかかる
でしょう。
また、加速するまで大きなエネルギーをかけ続けないといけない。準備に時間がかかり、打点まで時間がかかり、当然フォロースルーが大きくなり次のボールへの準備も遅くなります。
ラケットを加速させているのは自分自身、遠心力ではない
加えて言えば
ヘリコプターのローターを回しているのは“モーター”であり、遠心力が加速させている訳ではない
ですよね。
ラケットが加速するエネルギーを与えているのはスイングしている我々自身です。
テニスにおいて「何が正解か」といった事を議論に意味はない(※)と思いますが、
フェデラー選手、ナダル選手、錦織選手等、コンパクトなテイクバックで打つ選手が一定数居るのはそれが “テンポが速く時間のない” 現代テニスに合っているから
だと考えます。
大きな筋力がなくても良いという事で言えば、それらは「私達にも合っている」ということかもしれませんね。(道具の進化も活かせます)
※「フォアハンドストロークこういう打ち方が正解だ」と言ってもトッププロですら少しずつ打ち方が違う訳で (一つとは限らなくても) “正解の打ち方” という物が存在するなら「トッププロは全員少しずつ間違えている」という理屈になる。正解を我々が決められるはずも、判断できるはずもなく「これが正解。それは間違い」と周囲と指摘し合うやり取りは “マウンティング” 以上の意味は無いと考えます。
手に引かれて自然と倒れるラケットと人の操作で倒されるラケット
前置き長くなりましたが、これらの違いがスイング開始時のラケットの動きに顕著に現れます。
グリップから引かれ自然と倒れるラケット
手や腕の操作で倒してから引かれるラケット
繰り返しますが「どちらが正解か」という事を言いたい訳ではありません。
少し分かりづらいのですが、
慣性の法則でその場に留まろうとするラケットに引かれてラケットを持つ腕の前腕や上腕もラケット方向に捻れる
という事象があります。
従って、完全に上側の図のように動くと決めてしまうのも適当ではないです。
ただ、これらは自然と捻れるもので意図的にラケットを倒している訳ではないです。
ラケットを倒した状態で維持するのはテコの原理で手や腕に緊張が加わり、ヘッド側を立てた状態でテイクバックすればそれを防げます。
また、運動にはストレッチ・ショートニング・サイクル(SSC)と呼ばれる仕組みが関係しているそうです。
『高くジャンプする際、瞬間的に膝を曲げて姿勢を落とした状態を取ってから飛ぶ』例のように、「筋肉を急激に引き伸ばされるとそれ以上引き伸ばされてダメージが発生しないよう収縮して保護しようとする仕組み」である伸張反射、これを行う前の予備的緊張、筋肉と骨を繋がる腱に弾性エネルギーを貯める等々が組み合わさり機能しています。
「ボレーは打つ瞬間グリップをぎゅっと握る」と言われたりしますが、最初から一定の握力が出ていると操作性が悪くるでしょうし、これらの仕組みから打つ瞬間に握りを強くする事で強いラケット面が作れる事に繋がるのでしょう。
ボールが飛び、回転がかかるのは、
1) 飛んでくるボールのエネルギーを反発させる
2) 自ら加速させたラケットのエネルギーをボールに伝える
のいずれかを主に使うか、両方を組み合わせているからです。
積極的にスイングしないボレーは主に1、自らトスしたほぼ速度ゼロのボールを打つサーブは主に2、ストロークは打つ位置や状況によって1と2を組み合わせて打っています。
エネルギーの反発に重きを置くボレーではインパクト時に面の強さを高める必要が大きく、1と2を組み合わせて打つストローク、2メインで打つサーブとなるにつれて「インパクトで握る、ラケット面を強くする」感覚や必要性は薄くなるのかもしれません。
とは言え、最初から緊張状態の手では安定的にインパクト段階までラケットを誘導するのは難しくなるでしょうし、スイング速度自体も上がりにくくなるであろう事は想像できます。
リラックスして振れる方が色々と良いはずです。
現代的なスイングにおいてラケットダウンは必要ない
考え方は様々だと思いますが、現代的なテニスにおいては
「ラケットダウン」という言葉はほぼ言われることがない
ように思います。
書いたように意図的にラケットヘッドを下げる必要もないし、打ち方からしてそれを行うタイミングもないからです。そういう概念自体が必要ないということだと思います。
サーブで特に強調される「ラケットダウン」ですが、上で述べた慣性の法則で留まろうとするラケットとそれを引く手や腕の関係を考えれば同じ事が言えます。
この事象から起きている「ラケットダウン」という “段階” を、我々が “形” として意図的に起こす必要があるでしょうか?
オープンスタンス = 脱初心者というイメージ
それまで基本としてのスクエアスタンスで打っていた人がオープン(セミオープン)スタンスに挑戦しようとされる際、気をつける事があります。
「両足がどの位置にあるかとラケットを強く加速させる身体の使い方は直接的に関係ない」
といった事です。
オープン系スタンスに挑戦しようとされる方の多くは
「プロ選手はオープンスタンスで打つ事多い。オープンスタンスで打てば強いボールが打てるはずだ」
と考えています。
でも、トッププロが「我々が最初にならうようなスクエアスタンス」で打ったとしてボールの威力が顕著に落ちるという事が起きるでしょうか?
まずありえないと思います。
また、一言でオープンスタンスと言っても、右足、左足の付き方は人それぞれですし、同じ人でも状況によって、右足を上げて打つ、左足を上げて打つ、打った後右足着地、打った後左足着地など様々です。
つまり
「右足、左足の位置がどこにあろうとラケットを強く加速させる理屈は変わらない」
と考えられます。
その辺を理解した上で考えないとそのオープンスタンスへの挑戦は失敗するでしょうし、理解できていればどんなスタンスでも強いボールが打てる身体の使い方を考えられる機会を得ます。
個人的には下図のような打ち方はスクエアスタンスで打っているのと変わらないと考えます。
体を捻ったテイバック
ラケットの初期加速を生むのは、両足で地面を踏んで得られる反力、身体の捻り戻しする力等を連動させたものだと考えています。
慣性の法則でその場に留まろうとするラケットに手や腕は引かれ、ラケットの初期加速時に手や腕は我々が思っているほど積極的には動かせません。
バックハンド側と違うフォアハンド側のショットの特性は、
「横向きを作ることで一旦身体の後方に下げた利き腕肩を身体の回転により再び身体の前側も戻す。ボールのエネルギーを反発させるため、加速させたラケットのエネルギーをボールに伝えるためにラケット面を支えやすい体勢を作る。その利き腕肩の位置の移動をラケットの初期加速に利用している」
と考えます。
※バック側は利き腕肩の位置が最初から身体の前側にあり変わらない
つまりこういう事です。
両足で地面を強く踏み、身体をねじり戻しして、腕ではなく利き腕肩の位置を前進させているのが伝わるでしょうか?
色々ある要素の一つにはなりますが、オープンだろうとスクエアだろうとクローズだろうと、このような身体の使い方をするという事です。
オープンスタンスを使うことが脱初心者なのではなく、このような体の機能や仕組み、その使い方を理解していく事が本当の意味でのテニス上達に繋がっていくのだろうと考えています。
まとめ: ラケットダウンはリラックスさと物理的条件で自然と起きる
テニススクールではボールの打ち方を “形” で教わり、それを再現しようとする事で練習が構成されます。
ただ、それは選手の打ち方を写真でしか確認できなかった30年以上前に生み出された手法そのままであり、その名の通り、テニススクールは学校の授業を模しているので「教科書○○ページの図を見てください」と同じです。
30年前と現代の特に男子テニスを見ればその違いが大きいのは明らかです。テニス自体が変わっています。
スポーツ科学も進化し、スポーツを体の構造や仕組み、科学的な面から考えようという取り組みも大きく進んで来ています。
昔のプロ野球選手は「個々の才能で活躍するスター集団」でしたが、現代は「総アスリート化されたプロ集団」という感じですね。高いレベルでの能力の均等化、150km/h以上投げられる投手が、昔は無かったような様々な変化球を打てる打者が最低ラインです。
我々はプロ選手を目指している訳ではないですが、初心者の方が最初に習う基本はともかく、レベルが上がってきても30年前と同じ内容で指導されている現状は大きな疑問を感じます。
目新しい指導が良い、斬新な指導をすべきだという事ではなく、30年間、テニスもスポーツに関する科学も進化している要素を我々が教わる内容に反映されるのが妥当ではないかと思うのです。
30年近く前、それまでの押すように打つ打ち方からトップスピンで打つストロークに全面的に置き換わりました。そのような大きな変化がその後に出てこないのは何かしらの問題があるのでしょう。
教わる内容が間違っているとは言いません。長い時間続いている指導ですからね。
でも、もっと違う視点からの情報を貰えればもっと簡単に上達できるかもしれない。「教わるだけ」「見聞きするコツを追うだけ」ではなく、自分で考え、工夫して取り組んでみることが自分の上達に繋がるのではないかと思います。
野村克也さんは阪神の監督時代、根拠なく思いつきのようにプレイする選手たちに
「知らないより知っていた方が良い。考えないより考えてプレイした方が良い。」
と言われたそうです。
「自分のテニスを上達させるのは結局自分自身。コーチや周りの人達ではない。」
です。
世界的に著名なコーチに教わっても人によって上達に差があるであろう事、「上達するとは思うけど、どの位上達するかはやってみないと分からないよ」と皆が思うであろう事は “結局、上達は自分次第” と自覚しているのだと思います。
楽して上達できれば良いですが、苦労しないと得られない事も多くあると思います。
人が言う「良くなったねぇ」も「悪くなってるよ」も良くも悪くも変わった、変化があったという事ですね。
「色々考えてやってるんだけど上達しないんだよね」と言われる方のテニスがそう言われるほどは変わっていないのはそういう事だと思います。
(怪我等がない範囲で) 多少極端にでも試す機会を設けて何がどう違ってくるのか確認する事も、それが直接的に結びつかなくても、知識や理解が増え、上達に繋がる道筋になる気がしますね。